翌月に妊娠が発覚!
2024/12/24 初訪問。
いい神社でした(≧∇≦)b✨️
創祀の年代は不詳ですが、日本武尊が東夷征討の際、錦旗を立て仮の御野立所とし祖神を奉斉した旧跡といわれています。
現存する本殿は天保2年(1831)の造営とされ、栄町の有形文化財に指定されている。
江戸時代には徳川家光の乳母春日局の崇敬を受けました。
家光がまだ竹千代といっていた頃、当社に竹千代の出世を祈願し、三代将軍になると報恩のため、将軍の御座船天地丸の金色の鷲をもらいうけ献納しました。
祭神は日本武尊をはじめ、天乃日鷲命(あめのひわしのかみ)などです。
「粟(あわ)の国の忌部の遠祖天日鷲命の作る木綿 (ゆう)を用い」とあるように、天乃日鷲命は阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波の忌部氏の祖神です。
この粟は『阿波』だけではなく『安房』もさしているのか、四国だけではなく、安房神社にも祀られている神様です。
天照大神が天岩戸に入った時、岩戸の前で神々の踊りが始まり、天日鷲神が弦楽器を奏でると、弦の先に鷲が止まりました。
多くの神々がこれは世の中を明るくする吉祥を表す鳥といって喜び、天日鷲命と名付けました。
また、天日鷲神は天照大神が天岩戸に隠れた際に、穀(かじのき)・木綿等を植えて白和幣(にきて)を作ったとされ、「麻植(おえ)の神」とも呼ばれ、紡績業・製紙業の神でもあります。
天日鷲神は一般にお酉様として知られ、豊漁、商工業繁栄、開運、開拓、殖産の守護神として信仰されています。
春日局は安土桃山時代の天正7年(1579)に美濃国の名族斎藤氏の一族で明智光秀の重臣であった斎藤利三の娘として丹波国の黒井城下館(現・兵庫県丹波市春日町黒井の興禅寺)で生まれ、江戸城大奥の礎を築いた人物です。
父は光秀に従い、本能寺の変で織田信長を討ちましたが、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗戦して処刑され、他の兄弟は各地を流浪したといわれます。
福は母方の実家に引取られ、成人するまで美濃の清水城で過ごし、母方の親戚に当たる京都の公卿三条西公国に養育されました。
これによって、公家の素養である歌道・書道・香道等の教養を身につけることができました。
その後、関ヶ原の戦いに徳川家康を勝利に導いた功労者、稲葉正成の後妻となりました。
将軍家の乳母にあがるため、夫の正成と離縁しました。
慶長9年(1604)に2代将軍・徳川秀忠の嫡子・竹千代(後の家光)の乳母に正式に任命されました。
選考にあたり、家柄及び公家の教養と、正成の戦功が評価されたといわれています。
息子の稲葉正勝も家光の小姓に取り立てられ、元和9年(1623)に老中に就任しています。
徳川秀忠・江夫妻が竹千代の実弟・国松を溺愛している様子を憂慮し、自害しようとした家光を諌め、元和元年(1615)、駿府にいた大御所・家康に竹千代の世継を確定させるように直訴したといわれています。
家光の将軍就任に伴い、「将軍様御局」として大御台所・お江与の方の下で大奥の公務を取り仕切るようになりました。
寛永3年(1626)のお江与の没後から、家光の側室探しに尽力し、伊勢慶光院の院主であったお万や、お蘭(お楽の方)、お振、お夏、お玉、お里佐、おまさなどを次々と奥入りさせました。
また、大奥の役職や法度などを整理・拡充するなど、大奥を構造的に整備し、将軍の権威を背景に老中をも上回る実質的な権力を握りました。
寛永6年(1629)には家光の疱瘡治癒祈願のため伊勢神宮に参拝し、そのまま上洛して御所への昇殿を図りましたが一地方の武家の娘という身分では御所に昇殿するための資格を欠くため、育ての親でもある三条西公国の息子・三条西実条と猶妹の縁組をして参内する資格を得ました。
後水尾天皇や中宮和子に拝謁し「春日局」の名号を賜りました。
それまでは斎藤福という名でした。
以後、朝廷との交渉の前面に立ち、徳川政権の安定化に寄与しました。
寛永20年(1643)9月14日に死去、享年64。
辞世の句は「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」。
令和5年4月23日に参拝させて頂きました。
参道入口の脇の駐車場に車を停めて、行きは急な階段で一気に登り息切れ😅拝殿にて参拝し、拝殿左にあるモヤモヤサマーズでもやってましたが、鷹巣に福銭投げての運試し、3回目で入り小吉でした。
以外と投げる感覚が狂ってましたね。
帰りの際に、御朱印を直筆にて書いていただきました。
帰りは女坂の緩やかな階段を下りました。
いつも別の神社に向かう途中、近くを車で通っていました。
大きな看板が見え小さな岡の上にあるのできっと昔から慕われてきた神社なんだろうと思いました。
駐車場は広いです。
12/3と4にはお祭りがあるのでその時は屋台が出るそうです。
神主さんは気さくでとても良い方です。
この安食という地域がどのように生まれたのか詳しく教えてくれました。
もっともっと参拝者が増えて良い場所だと思います。
しかし、拝殿に向かう階段は正面はキツイです。
段差が高い。
右手から上がりましょう。
拝殿の彫刻は本当に素晴らしいです。
近くにある駒形神社も是非、参拝してみてくださいね。
20/05/06参拝。
大鷲神社の本殿は凝宝珠の刻銘から1831年造営とされ、栄町の有形文化財となっている。
天保2年 1831年に建立。
入母屋造本殿は千葉県では、ここの他→駒形神社と2例のみ。
らしいです。
確かに珍しいと思います。
鰹木、千木も乗ってないです。
珍しい造りの本殿。
是非、拝殿の脇から廻り込んで観賞してください。
名前 |
大鷲神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0476-95-1760 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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