広島城鬼門の方角に浅野長政の位牌堂を建立したのが始...
お正月の2日行きましたが...茅の輪くぐりをするのでビックリしました茅の輪くぐりは夏のイメージだった為。
御朱印は書き置きで1枚300円です。
広島駅から徒歩15分程で行けます。
広島市に住んでた頃の中原中也が大好きだったお宮中原中也の短歌汽車の窓幼き時に遊びたる饒津神社の通りなりゆく饒津にぎつ神社饒津の意味は、広島の町が豊かな水の都となるように幕末に作られたお宮で全国最大広島城に向かって参道が右カーブする特徴があります 広島城の鬼門封じの為被爆松あって、原爆によって年輪が変化してるのはなかなか怖いです参道は萩の名所。
素敵な場所を見つけました。
とても貴賓があり堂々とされた姿。
街の中に突然現れた異空間。
広い空間なのにとても綺麗でゴミひとつない!この辺りは、広島城から見ると鬼門にあたる場所がゆえに、多くの寺院が作られたそうです。
空気が良く時が止まる場所。
定期的に行きたいと思いました。
参拝し御朱印をいただきました。
二葉山山麓七福神の一つ恵比須天の書置き御朱印もいただきました。
不在時用に書置き御朱印が備えてあります。
必ずいただけるから有り難いですね。
饒津神社「にぎつさん」饒津の意味は饒 じょう,豊,食物やものが十分である。
津 港,船着場,海辺「広島の町が豊かな水の都となるように」との意味でした。
原爆で建物は焼け落ちてしまいましたが 昭和59年には本殿,拝殿,社務所を復興。
平成12年 向唐門復元平成17年両部鳥居を復元。
そのなか原爆で傷んた石造物は補修しないで被災の証としてそのまま残されてるとの説明が有りました。
なかでも立派な向唐門。
格上上将軍や藩主を祀る神社に用いられるとの事とこちらの向唐門は全国2番目の大きさと有りました。
参道,境内とても綺麗にされていて気持ち良く参らせていただきました。
とても居心地がよく綺麗でお気に入りの神社になりました人もおらずゆっくりとさせてもらい、心地よく参拝をすることが出来ました隣にある狐さんの鳥居とても可愛かったです。
訪れた時、私一人でした。
社務所も無人で、御朱印はおき紙(日付空欄)で300円です。
通常、神社は鳥居の方を向いて建っていますが、こちらはよそ向きでした。
廣島七福神の一つです。
にぎつ神社。
二葉の里七福神一人目恵比寿天様がいらっしゃいました。
広々した境内で、気持ちよい凛とした空気感がありました。
『二葉の里 歴史の散歩道』の一つ美しい神社です!
比較的こじんまりとしていますが、とても手入れされています。
御守りや御朱印は、初穂料を賽銭箱に入れるシステムです。
とても丁寧に手入れをされている神社です。
御朱印は書置きが置かれていて、初穂料300円にていただけます。
広島駅から徒歩で約10分のところに位置しています。
七五三の時期で昼間は賑わうと思い夕刻の参拝にしましたので人は少なめでした。
地域の方のお散歩コースになっている様子でした。
御朱印は、書き置きが2種類置いてありました。
何とも言えない、神聖な感じを味わいました。
しかも、パートナーと引いたおみくじが同じものでご縁を感じた1日でした。
初詣時期だからなのか参拝用の駐車場は参道を通り鳥居をくぐることにびっくりしました参道がきれいにされていて立派な鳥居が目を惹きます七福神巡りをしようと思ったのですが1/1から7日間だけということ来年はそれを求めて歩いてみます。
まず立派な鳥居に圧倒されます。
知り合いから、子供さんの病気平癒の祈願わやしたところ、それ以来発作が起きていないと。
ぜひお参りされてください。
大きな神社なので、七福神巡りの最初に来ましたが期待で胸いっぱいになりました。
私はにぎつ神社から廻りましたが、地元の人の話によると反対の聖光寺から廻る人が多いそうです。
その方が次に縮景園や広島城を廻るのに便利かもと思いました。
(七福神巡りは徒歩で2時間ほどで廻れました。
)
立地の関係で車通りが多いので、駐車場の出入りは気を遣います。
ですが、入ってしまえば駐車もしやすいですし、境内もゆったりした落ち着いた造りです。
社殿は広島市市内では珍しく木造で再建されており、それも相まって神々しさを感じます。
初詣時期にも関わらず、お守りやおみくじでガツガツしていない事も好印象でした。
2019年 11月参拝。
にぎつ神社と、読みます。
市内の 主要道路に面した場所に あり 近くには 川が 流れるお社です❗立派な 大きな鳥居に 目を奪われます🎵参道も とても綺麗です❗こちらの 向唐門… 1度は、原爆で 焼失したものの、忠実に 復元したそうです❗後… 石積みの 技術が 素晴らしい❗是非… 見て下さいね。
御朱印を 戴きに来ました❗社務所に、宮司さんも、在中しており快く 戴けました🎵駐車場も、看板があり 鳥居 奥に止められましたよ❗
かつては立派な杉並木の参道があったそうです。
原爆で倒壊し、今は一本だけ切り株が当時の惨状を偲ぶため残されています。
とても広々として、細部まで行き届いた管理がされている神社。
広島駅の側にこんな立派な神社があるとは思いませんでした。
宮本瓦全1913船越衛(ふなこし・まもる)銅像[未調査]/小杉放菴、1936年5月19日、中国新聞の依頼で吉井勇とこの地をまわるか。
吉井勇=鷹の羽の 紋かしこしと思ひつつ 饒津の社 おろがみまつる。
神社としての風格、広島の歴史観など申し分なし。
明治33年の北清事変の鎮魂には見入ってしまった。
すごく敷地の広い神社でした。
駐車場が分かりにくく、参拝者は参道に斜めに停めてくださいとありました。
「にぎつ」って一発で読める人って3割いるのかなぁ…
勝負事についてはここで祈願するのが良いだろう。
神頼みではなく、ここで祈願したら気合いとやる気が出た(気がする)。
儀式?の仕方が看板に書いてあるから実行した(ちょっと恥ずかしい)。
効果があったのか、試験は合格でした。
車で参拝にきても駐車場が広いので大変助かります。
原爆の遺産が残っています。
二葉の里を散策される際に欠かせない神社です。
広い境内にあるいろいろな碑を見てまわるのも楽しいですよ。
御朱印も快く書いていただけます。
神社&寺巡りにて!夕方にいったので境内から見る夕日がすごくきれいw
名前 |
饒津神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
082-261-4616 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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御祭神・浅野長政命(浅野家初代)・浅野末津姫命(長政の妻)・浅野幸長命(浅野家二代・長政長男)・浅野長晟命(浅野家三代・長政次男)・浅野長勲命(浅野家十四代・芸州浅野家最後の藩主・初代広島県令)宝永三年(1706年)広島藩主浅野家六代目「浅野綱長」により、広島城鬼門の方角に浅野長政の位牌堂を建立したのが始まり。
文化七年(1810年)浅野重晟・斉賢父子が、新たな位牌堂を建立した。
天保六年(1835年)浅野斉粛が祖先追悼のため現在地に社殿を建立し、二葉御社と称した。
明治六年(1873年)饒津神社と改称。
境内の東から東照宮参道に至る区域が「饒津公園」として整備された。
昭和二十年(1945年)原爆により本殿や唐門が瞬く間に破壊される。
さらに本殿より出火、他の建物も類焼した。
この時、石灯籠、手水桶などの石造物が残るだけ、樹木は十数本の松の木を残すのみという甚大な被害を受けた。
境内の楠の大樹は、トンネルのようになって県道に覆いかぶさった状態になった。
また原爆で傷つき市中心部から逃れてきた多数の被爆者の避難所となったが、人々の多くはこの境内で落命。
被爆後、京橋川を渡ってこの神社近くに避難し野宿した原民喜は、戦後発表した小説「夏の花」において、被爆当日の夜の状況を描写している。
戦後、仮殿、本殿が再建された。
昭和五十九年(1984年)本殿、拝殿、瑞垣が戦前の姿に復元された。
平成十二年(2000年)唐門も再建される(大きさは全国2位)平成十七年(2005年)唐門の前に木製の鳥居が再建された。
御朱印あり寺社巡りショート動画https://youtube.com/shorts/vqwcLgf1fsM?si\u003d_pb0wBsg8JjyetQU寺社巡り動画https://youtu.be/59Dl_9Lz_co?si\u003d9urjyn_vJ409vvz3