とても厳かな佇まいを醸し出しています。
2023年06月上旬訪問いつきても、胸にくるものあります。
以前より、かべの黒ずみがへったような気がします。
中に、鉄骨で補強もされてました。
月日の流れをかんじました。
昔より、ドームが小さく感じられました。
回りとの比較でみえ方が変わったのかなぁと。
みんなの記憶もうすれていくんでしょうけど、自分は、忘れない。
と。
夜の原爆ドームも素敵です。
夜な夜な行ったサグラダファミリアを思い出しました。
内容は違えど不完成の魅力は通じる所があります。
中に入ったりする事は出来ないので観光時間は10分で大丈夫です。
文章をしっかり読みたいという方はもう少し余分に時間を取りましょう!9月、10月くらいの気候がおすすめな感じです。
原爆ドームは実物でみると想像以上に迫力がありました。
資料館はかなり内容が濃いため、時間も気分も余裕を持って行った方が良いかと思います。
この時期に行けて良かったです。
夜はライトアップされ、とても厳かな佇まいを醸し出しています。
昔、教科書に掲載された白黒写真の壮大なイメージが有りました。
実際、路面電車から見ると、、想像していたよりも小さい建物でした。
広島県にある世界遺産にもなった世界的に有名な原爆ドームです。
原爆の恐ろしさを後世に伝える意味で残されているようです。
補強などはされていますが、当時のままの状態で保存されており、崩れた瓦礫もそのままになっています。
その様子から当時の爆発の凄まじさが見て取れます。
原爆ドームは戦争の恐ろしさを現在の私たちに伝えるものです。
1945年8月6日にアメリカがおもの連合国が広島、1945年8月9日に長崎に原爆を投下しました。
長崎は当時曇りであったため運良く市を外れましたが、広島は運悪く市に投下されてしまいました。
そして原爆が投下された所が原爆ドームだったわけです。
原爆ドームは戦争の恐ろしさ、そして原爆が投下されたらどうなってしまうのかを世界に訴える行動が認められ世界文化遺産に指定されました。
今も被害者の家族などの人々が現在に伝えています。
私たちも一緒になって後世に伝えていきましょう。
広島に来て1年立ちましたが、訪問は4回目となりました。
海外から沢山の人達が子供を連れてやってきます。
そのような光景を見ると、言葉は無くても核戦争の悲惨さを後世に伝えたい世界の平和を願っているんだと信じずにはいられません。
広島の人達がなぜこんなにも広島を愛してるのかがわかるそんな場所なのです。
原爆ドーム前を流れる太田川を散歩するとこの川がいかに広島の人達に愛されてるのかが、よくわかりますよ。
ここ原爆ドームには何度か訪れました、ここに来る度いろいろ考えさせられる気持ちになります。
戦争とは何か?文化や習慣、言葉に違いはあるにせよ、人と人が争い奪い合うことで何が得られるのか?武力や暴力で幸せが得られるのか?人を殺めてまでも得たいものがあるのか?戦争はいけない事と知りながら止められない理由があるのか?原爆ドームを見ると胸と目頭が熱くなります!これから日本は全世界に核兵器の放棄と廃棄を促し戦争では恐怖と悲しみや憎しみしか生まれないと発信していかなければならない使命があり、原爆ドームが世界平和を願う碑であることを海外に広めていかなければならないと思っています!ここで平和を祈ると人生観が変わりますよ?広島に来たら是非立ち寄ってくださいね!
「戦争はいけない事です」なんて当たり前の事は言いたくありません。
でも戦争をしない為に私はどうしたらいいのか?悲惨な戦争だと分かっていながら今も戦争や内戦が続いているのはなぜなのか?考える材料がここには沢山あります。
決して日本だけが日本人だけが戦争に加担しなければいいのではありません。
戦争が無い日本ではなく、戦争がない世界が実現してこそ原爆ドームの存在意義があると思います。
生まれて初めて原爆ドームへ行きました。
原爆ドームが視界に入ってくるなり心臓の鼓動が早くなり 痛くなりました。
白人と東南アジア系の観光客が多くてそれも驚きでした。
最近は日本中の観光地は中国人、韓国人だらけなのに ここは殆ど居ないのも何となく納得しました。
私の主観と解釈ですが彼らは自分達こそが被害者で日本がやらかしたとの意識を強く持つ民族なので 世界で唯一アメリカから原爆を落とされ 無差別に大量に虐殺された日本人は受け入れがたく 知ろうともしないのでしょう。
口コミで 『原爆原爆といつまで被害者意識で…』とイッタい事書いてるアホが居ますが正にこんな解釈なのでしょう。
私は 今回 初めて訪れて 地元の方々がボランティアで語り部として色々と教えて下さり 案内してくれました。
その時に私が『広島の方は強いですね。
よく ここまで復興して立ち直りましたねぇ。
尊敬します。
』と伝えると その方は『いえいえ 違うんです。
日本全国と外国から色々な方々の支援をして頂いた事で出来た事なので我々だけで出来た事ではないのです。
本当に感謝しております。
ありがとうございます。
』と言われました。
なんて謙虚で日本人らしい『お陰様』と言う言葉を胸に抱きながら生きて来られたんだろうと 改めて尊敬しました。
広島の方々の人間性を見ました。
素晴らしいですね。
勿論 アメリカには悔しい思いも 怒りも有るでしょうがそれを勝る感謝を表に出されるのは簡単ではないと思います。
それと『戦後 広島だけが大変だった訳ではなく 何処も同じ様に被害が大きくて 大阪も東京も皆、苦しく辛かったので 広島だけが強いんではなくて日本人全てが強いと思います。
』と案内して下さった方が言ってました。
私はやっぱり大和魂と大和撫子と言う日本語が大好きです‼️
爆心地はドーム(旧・広島産業奨励館)からやや外れた島病院です。
ちなみに現在も島内科として同じエリアにあります。
ここには何度も訪れており、古いアルバムにも母と原爆ドーム前で写ったスナップが残っています。
さらに昔の高度経済成長時代のドームの写真を見ると、現在よりも残されている部分が広く感じられました。
確か昭和40年代の初め頃に補強工事がされたと当時のドキュメント番組「ある夏の記録(広島テレビ制作)」にありましたので、経年劣化も考えた上で縮小されたかと感じます。
広島に来たら1度は足を運んで頂けたらと思います。
また、ドームからすぐの石碑の文言について気に食わない方が何割かいて、過去も何度か塗料をかけられる事態がありました。
現在はカメラが設置されていると思います。
日本語は古くから主語の曖昧な言語です。
主語のない石碑への思いは皆さん一つではないでしょうが、これは器物損壊罪に値しますのでどうか実力行使はやめてください。
その気持ちのマクロ化したもの、それが破壊や殺戮なのですから。
原爆の惨禍を伝える建物です。
1915年(大正4年)チェコの建築家ヤン・レッツェルの設計による。
かつては広島県産業奨励館として賑わっていた。
原爆投下目標の相生橋に近く、この建物は爆心地の直下であったと言われている。
(実際の爆心地は東に150mほどずれているとも)。
、「二度と同じような悲劇が起こらないように」との戒めや願いをこめて「負の世界遺産」とも呼ばれている。
一度は見ておきたいものです。
でも知らずに見るとただの朽ちた建物でしかなく‥‥その現場周辺の沢山の人、物、蒸発して無くなってしまったこと、川に全身火傷の人が山積みになったこと、イメージしながら見た方がいいんでしょうね。
資料館に残る石畳の人影の展示物、個人的に原爆ドームより怖く感じます。
想像もしたくないことですが‥‥二度と繰り返さないという誓いのような感情が自然に湧いてきます‥‥
たくさんの外国の方が見に来られてるのが印象的でした。
見た感想は10人居れば10人とも異なると思う。
ただ共通している想いは戦争なんかしたくないし、皆平和を願っている、これは共通の想いかと。
昨日あたりから北朝鮮がグアムをどうこうと報道がされてる中で特に平和への想いを再認識できました。
原爆被害の象徴とし、後世に残すために世界遺産となった「原爆ドーム」です。
取り壊さないで保存した当時の方々の判断は英断だと思います。
戦後生まれで戦争体験の無い自分でも、印象が強く、深くなります。
現在は世界中から観光客の方や、政治家等の多くの方が訪れてくれています。
「核攻撃」を行った場合の結果、どうなるかを理解してくれると思っています。
そして、現在の「広島市」の賑わいも見て欲しいです。
8月になると、原爆ドーム周辺で「平和」を謳った活動・集会が盛んに行われます。
中には福島の原発事故と広島の原爆被害をごちゃまぜにした?な活動をしている団体もあります。
そのような活動が自由にできるのも、日本が他国と比べて「安全」であるからでは無いでしょうか。
残念ながら、昨今の世界情勢から「平和」への道のりは未だ時間が掛かりそうです。
名前 |
原爆ドーム |
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ジャンル |
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電話番号 |
082-242-7831 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/163434.html |
評価 |
4.6 |
最寄り駅 広島電鉄 原爆ドーム前駅徒歩1分トイレ有り原爆ドーム、公園は無料広島平和記念資料館は200円公園内に原爆ドーム、平和記念像、慰霊碑が数多く点在しておりニュース等で目にする献花の碑は広島平和記念資料館の前に有りました。
ドーム自体を未来永劫残す事は難しいと思いますがかなりの象徴になっています。
海外の方も数多く来ていますが時期なのか修学旅行生の数が凄い!次から次に来ます。
良い事では有りますが、平和記念資料館は只々泣けて来ます。