踏切近くのコインパーキングに。
前に一度 家内安全でお祓いの時に神主さんの太鼓の音で心が洗われたようで大の大人ですが涙が溢れこぼれて止まりませんでした。
また宜しくお願い致します。
創建年は不明。
神功皇后による西征(長門の熊襲族征討あるいは三韓征伐)の際、皇后がこの地にあった船着場に立ち寄ったのを機に創建されたとされている。
1555年(天文24年)厳島の戦いで毛利元就が厳島へ向かう前にここへ必勝祈願に訪れた。
その際ちょうど朝日が昇ったため、元就は高揚し士気を高めたことから、この付近の山を旭山、社名を旭山八幡宮と名付けた。
現在の社殿は1937年(昭和12年)改修工事のときに整備されたもの。
1945年(昭和20年)広島市への原子爆弾投下により被爆。
爆心地から約2.80kmに位置した。
爆風により本殿を除く社殿屋根が吹き飛ばされ倒壊、絵馬堂は少し傾いた。
旭山で山火事が起こったが地元消防団の活躍と黒い雨により消火されたため、神社は焼失を免れた。
1948年(昭和23年)に残った部材を用い修復された。
広電西広島駅、JR西広島駅の近く、崖上に立地。
通勤電車の車窓からよく見えるので気になる所。
好奇心を満たすべく、階段坂をてくてく登って到着。
広島市内を見渡せるのがよかです。
御祭神は、神功皇后(息長帯日売命)応神天皇(品陀和気命)と、宗像三女神こと、市杵島姫神湍津姫神田心姫神の皆さん。
昔々、八幡さまこと応神天皇の母君であり、三韓征伐など武勲めでたい神功皇后が、こちらに立ち寄られたとき、この地の県主(あがたぬし)が大きな鯉を献上されたげな。
これを皇后さまが「おお、こひ!こひ!」と大層お喜びになり、これにちなんでこの地が己斐とよばれるようになったとさ。
そのころ(1800年くらい前)は、市内はまだ海で「こいの浦」と呼ばれておったそうな。
広島城を鯉城と呼ぶのもこれが由来とのことね。
広島カープの名前の原点でもあるよ。
すなわち、ゴッド姉さん神功皇后さまなくして、今の広島カープはないのじゃ。
さて、本殿は被爆建物で、広島に原爆が落ちた際、爆風により社殿は倒壊したが、その建築資材を用いて再建されたとのこと。
名前 |
旭山神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
082-271-1040 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
神功皇后も訪れたと言われる由緒正しき神社。
階段が少々きついので、下でもお参りできる様、配慮されている。
常時宮司さんがいらっしゃらないのが寂しいです。