2年後には、中庭の池も整備されます。
三田尻御茶屋旧構内 英雲荘 / / .
三田尻御茶屋は、承応3年(1654年)2代萩藩主 毛利綱広が設けた藩の公館です。
参勤交代や迎賓の宿舎として使用されました。
萩城下〜三田尻間を結ぶ萩往還の終点として、歴史的に重要な役割を果たしました。
天明3年(1783年)7代藩主 毛利重就は隠居後、三田尻御茶屋を大規模に改築し晩年の6年間を過ごしました。
幕末の文久3年(1863年)には、三条実美ら「七卿」も滞在しました。
昭和14年(1939年)毛利家より防府市に寄付され、防府に縁が深かった毛利重就の法名「英雲院殿祐山如靖大居士」より「英雲荘」と命名されました。
平成元年(1989年)萩往還の関連遺跡として国の史跡に指定されました。
仕事で防府に寄った際にチラッと看板が目に入ったので見学させていただいたのですが英雲荘自体の歴史的価値もさることながら職員の女性がめっちゃ親切に英雲荘のことや防府の町について教えてくれてものすごく気分の良い時間を過ごすことが出来ました!短い時間でしたが本当にありがとうございました。
防府市のイベントでお庭で夜、お酒と音楽演奏があった。
文化財でやるのはスゴイ。
普段はボランティアの方が丁寧に案内してくれます。
毛利邸とセットで行ってみると良い。
穴場です。
なぜか来場者が少ない穴場スポット。
無料で、ていねいな解説がありますので、よく理解できました。
現存するものでは二番目に古いらしい、水琴窟があります。
三田尻御茶屋(英雲荘) 招賢閣(しょうけんかく)のコピーがありました。
Wikipediaには、招賢閣の建物は残っていない、とあります。
しかし、現在残っている三田尻御茶屋の建物の変遷を見ても別の建物がないのです。
そして、この写真にある招賢閣の絵が唯一の招賢閣の証拠になるようです。
絵を見ると二階の部屋で、しかも七卿と浪士たちが一緒に描かれています。
つまり、この現在”大観楼”と呼ばれている部屋が招賢閣である可能性がある、とのことです。
元、毛利氏の公館「三田尻御茶屋」三田尻御茶屋は、承応3年(1654)萩藩2代藩主毛利綱広によって設置された萩藩の公館で、藩主の参勤交代や領内巡視時の休憩、また迎賓に使用された。
昭和14年(1939)毛利家から防府市に寄付され、晩年をこの地で過ごした7代藩主毛利重就(しげたか)の法名から「英雲荘」と命名された。
名前 |
三田尻御茶屋旧構内 英雲荘 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0835-23-7276 |
住所 |
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営業時間 |
[火水木金土日] 9:30~16:00 [月] 定休日 |
関連サイト |
https://www.city.hofu.yamaguchi.jp/soshiki/40/eiunnsou-riyouannnai.html |
評価 |
4.4 |
とても良いところです情緒豊かな雰囲気です皆さんも見学に往かれたら良いと思います満足。