人も少なく、紅葉がとても綺麗でした。
毛利の前の守護職大内氏の居館、西の京都と言われていた大内氏館を訪問~👣。
現在は、龍福寺となっており、境内を散策し、大内義興公を発見しご挨拶。
そして、100名城スタンプの写真の場所西門と石組溝も発見しパシャリ🤳して撤収~(^^)。
静かな場所で雰囲気もいいと思います。
現在の龍福寺があるこの場所は、南北朝時代から室町時代にかけて山口を中心に九州北部や安芸・石見など広く支配した大名、大内氏の館があった場所です。
現在は龍福寺というお寺になっており、境内は自由に見て回ることができます。
ただし、本堂は檀家の方しかはいることはできないとのことです。
大内氏館はいわゆる「守護所」であり、ここで政務が行われていたと考えられています。
一応、周囲には堀や壁がめぐらされていたようですが、お城のような防御施設というよりは政務を執り行うための施設であったと考えられます。
室町時代の建物らしく、館内には大きな庭も作られており、現在はその庭(池泉庭園)も復元されております。
龍福寺境内には龍福寺資料館(有料、大人200円)というものがあり、大内氏の歴史や発掘された陶磁器などを見ることができます。
正直、あまり見るモノは少ないのですがこのお寺の維持費や整備費などを考えれば、払っても損はないと思います。
他にも鐘や大内氏所縁の岩などがあり、観光にも良いと思います。
近くに駐車場もあり、気軽に訪れることもできます。
館跡がそのまま寺院になっています建物は残ってなくて土塁の一部が残ってるとのことやけど発見出来ず💦かつて栄耀栄華をほしいままにした周防の王の形見がなかなか見つからん土塁だけとは…いつの時代も人の世は世知辛いね。
山口県の歴史そのものですね。
資料館には毛利元就・隆元・輝元の肖像画があります。
館跡には現在龍福寺がありますが、室町時代には周防の守護職大内氏の居館があったところです。
正平十五年(1360)頃大内弘世が大内御堀からこの地に館を移し、京の街を模して、街造りをしたといわれています。
館は現在の龍福寺境内とほぼ一致する100間四方の敷地を堀と土塁で囲んでいたといわれています。
大内氏歴代の当主はここで政務をとり、約二百年の間西日本の領国経営を行う守護所としての政治的拠点であり、経済・文化の中心でもありました。
昭和三十四年(1959)、館跡は大内氏遺跡のひとつとして国の史跡に指定され、昭和五十三年(1978)から発掘調査が行われています。
館跡では、室町時代に作られた庭園の跡が少なくとも三か所で確認されています。
現存する中世庭園は、後世の改修によって元の姿を留めない例が多いのに対し、大内氏館跡のような発掘庭園は、当時の庭園様式をうかがい知ることができ、きわめて重要です。
史跡指定地の南東部に位置する池泉庭園(2号庭園)は、館内の庭園遺構としては最大規模を誇り、平成四・五年度(1992-3)の第13・14発掘調査で発見され、平成十八年度(2006) に再発掘されました。
【調査の概要】1400年代おわり頃に作庭され、ニ度以上にわたる改修を経た後、大内氏が滅亡する1500年代中頃に廃絶したことが分かっています。
南北39m、東西20m(約 490m²)で、ヒョウタン形の池の中ほどに中島が浮かび、東岸の石組水路から導水していました。
排水施設や池底の防水施設は発見されていません。
池の西岸が直線的となることから、庭園を眺める会所などの建物が存在したのかもしれません。
また、南東岸で発見された石基礎建物は、池泉庭園の改修時に建てられており、庭を鑑賞する施設のひとつだった可能性があります。
池泉の南西岸で発見された石組井戸からは、金箔を貼った京都系土師器皿が出土しました。
【整備の概要】発掘された遺構を埋め戻した後に嵩上げをし、水をたたえた庭園として復元整備しました。
整備対象としたのは、1500年代前半〜中頃の様子です。
(令和二年11月30日)
続100名城の一つである大内氏館(及び高嶺城)跡。
人も少なく、紅葉がとても綺麗でした。
北側の築山跡とセットで40分ちょっとで見渡せる規模だな。
しかしなかなかどうしてどうしてとてもよく整備された遺跡である。
まず周囲の土塁の規模に圧倒される。
近年の整備もあろうが非常に残存状態が良くなかなかこれだけの土塁にはお目にかかれないっていう規模。
龍福寺の東西南北に全て土塁が残っておるのじゃ。
北側、西側の土塁がオススメだわさ。
庭園もかなり整備されており心地良い。
井戸跡、礎石などの遺構があり、都度説明板が設置されており知識の無い方でもわかりやすく学べるように工夫がなされている。
西側の再建門も雰囲気が良い、個人的にオススメのスポットだよ。
結論として直感的に申し上げると整備が想定以上になされておりわかりやすく、かつ心地良い空間。
マイナス点としてはその整備され過ぎているが故に、遺構の頽廃的な、かつデカダンス的な要素はあまり感じられなかった。
その点で☆4つの評価をいたした次第。
良いエリアでした、またゆっくり来たいな。
復元整備されつつある、大内氏の栄華の跡です。
本来の姿ではなく、観光用に集めてあります。
室町時代の館の雰囲気を感じられます。
十朋亭から北に200mほどのところにありました。
今回利用した無料駐車場は、その間にあります。
ほぼ境内全域が大内氏館跡に建てられた寺ということが、空からの写真でよくわかります。
大内氏館跡としても整備されています。
大内館跡の西門が復元されています。
大内館跡の庭園の一部が発掘されています。
祖母が自分は大内氏所縁だと言っていたのを思い出し訪問してきました。
池のある庭園は1400年代末に作られ大内氏が滅亡する1500年代中期まで使用されていたそうです。
名前 |
大内氏遺跡 館跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
083-934-2810 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
発掘、保存が進んでいるようです。
裏手には案内はありませんでしたが土塁のようなものも復元されているようです。