ここで食べると最高。
立派な銅像だね。
幕末明治維新の際の長州藩主「毛利敬親」そうせい公とも呼ばれる。
第二次世界大戦による金属供出のためすべて撤去され、昭和55年(1980年)になって毛利敬親像のみ再建された。
亀山公園頂上中央に鎮座する。
公園内は整備されており、晴天時に芝生の上でゆっくりしたいようなプレイス。
天気が良い時は下の「おかずや」さんで弁当を買って、ここで食べると最高。
駐車場、自販機、最高級トイレもあります。
亀山公園がリニューアル。
芝生広場になり、トイレもできました。
亀山公園(長山城跡)に毛利敬親像があります。
山口サビエル記念聖堂に来られたら、亀山を登って会いにいかれると良いですよ。
名前 |
毛利敬親公之像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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毛利敬親は時の長州藩主としてあまりにも有名です。
別名、そうせい公です。
毛利敬親はやたらと、口ぐせの様にそうせい、と言ってたらしいです。
毛利敬親は、江戸時代後期から明治初期の大名で、毛利氏27代の当主です。
長州藩主で、1819年から1871年迄生きました。
敬親は、11代藩主の毛利斎元の長男として生まれて、12代萩藩主の毛利斎広の養子となりました。
天保8年1837年に家督を継ぎました。
そして、12代将軍の徳川慶喜から1字を与えられて、慶親と改名しました。
それにしても、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の徳川家と毛利敬親は、一体どういった関係にあったのでしょうか。
やはり、歴史は奥が深いです。
徳川慶喜は、徳川家康を祖としますが、毛利敬親は、毛利元就(もうりもとなり)を祖としていて、う〜ん。
2人の間に、どういった友好関係が結ばれていたのかも興味深いです。
そもそも、この公園に、毛利敬親以外の銅像がありましたが、戦時中に次から次へと銅像は数を減らし、毛利敬親だけになりましたが…別名、銅像公園とも呼ばれていたのだそうです。
毛利敬親は、長州藩主ですからね。
重要人物です。