三木合戦(天正6年(1578年)3月から天正8年1...
神戸電鉄 恵比須駅の南、君が峰町の南の丘陵に築城された付城です。
遺構は現存しておらず、多重土塁の一部らしき跡が確認できる程度です。
三木合戦の際、羽柴秀吉は平井山に本陣を置いたが、三木城を包囲するため、周囲に30余りの付城を築き、三木城に物資等が、入らないよう見張っていたようです。
這田村法界寺山ノ上付城を起点として、宿原城までの約5.5キロメートルに及ぶ毛利軍の明石からの兵糧等物資の運び込みルートを遮断するため、複数の付城と多重土塁を張り巡らし包囲網を敷いた。
この付城もそのうちの一つで、三木城の東側を固めたと思われます。
なんなんだろう、いまいちよくわからない城跡。
城跡としての整備は全くなされておらず城跡碑や説明板も当然設置されていない。
登城口ぽいものは数ヶ所あるもののどれが城跡への道なのか、そもそも城跡が何処かがまずわからない。
一番城跡ぽい箇所と小生が個人的に思ったのは東側にある通学路途上にある平らな曲輪ぽい箇所。
奥には高台があり櫓台を彷彿させる。
土塁ぽい遺構も散見され一番城跡ぽい雰囲気であった。
北側には堀切ぽいモノもあるにはあったが全ては想像の域を出ない。
空想もしくは戯言かもしれぬ。
個人個人で実際に訪問して確かめるがよかろう。
いずれにせよ直感的に言える事は、よくわからない城跡である、という事だけである。
三木城攻略の為に造られた付城の一つで、豊臣秀長の実子である木下与市郎が武将として配置されていたとされています。
付城・史跡を表す分布地図ではここになっているのですが城跡とされるような機構が残っておらず調べると周辺の土地造成工事などで大半を失っているとのことでした。
なので特にここが城跡である表示もありませんが、他の付城と同じく敵陣への物資補給を監視する為であろう小高い場所に配置されているこの場所は嫌に写ったんだろうなと想いを馳せれます。
また車で行く場合は駐車できる場所が実質ありませんので三木山総合公園に駐車して歩くのが良いかと思います。
名前 |
君ヶ峰城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
三木合戦(天正6年(1578年)3月から天正8年1月)で築かれた織田方の陣城の一つ。
羽柴秀吉の弟羽柴小一郎秀長が布陣したといわれている。