梯郭式平山城を築城し、別名に粉蝶城を持ちました!
亀山城跡(伊勢亀山城跡) / / .
伊勢国鈴鹿郡亀山に、1265年文永2年に関実忠が、梯郭式平山城を築城し、別名に粉蝶城を持ちました!その後、岡本良勝や本多俊次が改修しています!城主は、関氏ー岡本氏ー本多氏ー石川氏と移り、1873年明治6年に廃城となりました⁉️遺構ぶつは、多聞櫓に石垣や堀と土塁が残り、模擬塀が再建されました!
桜が咲いた時に行きました。
石垣の上の「多聞櫓」創建当初に復元とのことですが、或いは?改修された後の方が、見映えは良かったのかも?と感じました。
小道の斜め向かいに新築の一目で分かる綺麗なトイレが有りました。
助かりました。
【2022.5.5】GWに淡路島~奈良県~自宅への途中でフラリと寄らせてもらいました。
櫓内は無料でみさせて頂けます。
たまたますいていたおかげか、管理者の男性の方が説明して下さり興味深かったです。
入ってすぐの柱の下部分がつぎはぎだねーと夫婦で話していると、コレは平成の頃に放火された跡で、犯人がまだ捕まっておらず、見せしめの為にもこうして展示しているとの事でした^^;地図を見ると、市役所や小学校も今ではすっぽりと入ってしまってる所から、かつての亀山城がとても大きかったんだなと知りました。
たしかに亀山城と検索すると、光秀さんの京都亀岡市にある亀山城が出てしまいました(^^)でも大昔の逸話では、丹波の亀山城を壊せ!と命令されたのに、こちらの伊勢亀山城が壊されるという勘違いがあったらしいです(^^;全部壊されなくて良かったです。
廃城令もくぐり抜けられたりなど、色々あってここまで残されている櫓!梁や柱などは当時のままなので、この先も長く残されていくと嬉しいですね(^.^)
一度は行って見てくださいと言われ続けてて仕方なく行ってきました亀山城跡初訪問です特に目を見張る物もなく、サクっと見学終了当時の城の内壁、外壁の仕上げ方など詳細な原寸大模型で紹介されていましたしかしH 24年 12月14日 何者かによって放火されたのですね⁈ とんでも無い輩もいたものだわ ٩(๑`ȏ´๑)۶// 激オコ!犯人も捕まっていない模様です ε-( ̄ヘ ̄)┌当然現在は火災報知器や防カメが設置して再発防止されていると思います。
雰囲気はありますが現存している建物は多聞櫓とその横に道場後、大正天皇が泊まられた建物がありました。
ちょっと上がれば公園がありの敷地内にSLが飾ってありました。
石垣の上に櫓が復元されていて、なかなかの雰囲気は出ています。
城跡は公園や神社などになっていますが、東海道の宿場町にあったお城としての全体像は分かる感じです。
案内板や説明板もあり、こじんまりしていて、自分的には好きな感じでした。
Google Mapでの検索では、丹波の亀山城しか出てこないため、若干の注意が必要です。
城跡の西側に公園駐車場があります。
多聞櫓と付随する土塁・高石垣は結構見ものです。
その他に、北側向かいの公園に本来の天守に相当する三重櫓跡があります。
眺めがいい。
亀山駅から登りで東海道を過ぎて直ぐ、学校の隣。
市の職員さんにお話しを聞きました。
3月中旬から4月初旬まで、桜が満開です✨ライトアップされていて、ホントに美しいです!
21`正月三日、朝の散歩に寄ってみた説明板がいろんなトコに設置されてる本丸の多門櫓は県文化財ですと二の丸の北埋門や帯曲輪は復元されてて散策が楽しめる石積みがちょっぴり残ってた♪下へ降りると水堀跡の池は凍ってた(^^;隅から隅まで歩くと広くて時間がかかるけど、のんびり散歩が幸せ♡(~▽~@)♪♪♪
丹波亀山城と間違えて取り壊されたり放火で燃やされたり‥廃城令によって堀すら埋め立てられ‥可哀想すぎる伊勢亀山城‥( ;∀;)現在‥伊勢亀山城跡は公園や学校や役所になっていて、多聞櫓と石垣や土居などが唯一現代に遺された文化財になっとります。
□聖地・ロケ地★★★・長編小説【暗夜行路】/志賀直哉(1883~1971)‥亀山駅から亀山城跡などを巡った情景の描写があります。
・2006年NHK大河ドラマ【功名が辻】で、後藤吉兵衛(武田鉄矢)が戦死した亀山城跡。
□アクセス★★★伊勢亀山城・亀山宿中心周辺は、JR亀山駅より徒歩5~15分圏内です。
車は東名阪道亀山ICより国道1号線経由で約5km15分くらい。
・伊勢亀山城/確か亀山公園に無料駐車場🅿️がありました。
・亀山宿/ここに車停めるな❗触るな危険的な爺さんは見かけましたが、⚠️道の駅のような整備された無料駐車場は見当たりませんでした。
施設が無料見学・自由散策できることが何よりの魅力です。
名前 |
亀山城跡(伊勢亀山城跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://kameyama-kanko.com/area/kameyama/%E4%BA%80%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E8%B7%A1/ |
評価 |
3.7 |
真田戦記伊勢・亀山城前回は雨の日の夜襲でしたので日中に行きなおしました。
伊勢亀山城は、1265年に伊勢平氏の流れをくむ関実忠によって伊勢国鈴鹿郡若山に築城されました。
1567年の織田信長の伊勢進攻以降は、たびたび戦場となりました。
1583年には蒲生氏郷が城主となってます。
1590年に天守、本丸、二の丸、三の丸などのその後の亀山城の母体となる城が形成されました。
江戸期においては、亀山城は伊勢亀山藩の藩主の居城となりまた。
明治以降は廃城令によって、ほとんどの構造物が取り壊されました。
このため現在は天守台・多聞櫓・石垣・堀・土塁など一部が残るのみです。