千光寺へ向かうと嵐山から落ちる小さな滝がある。
戸無瀬の滝(半人工) / / .
渡月橋から大堰川右岸に、千光寺へ向かうと嵐山から落ちる小さな滝がある。
平安時代から和歌に詠われ、鎌倉中期、藤原為家は「雲かかる山の高嶺の夕立に戸無瀬の滝の音まさるなり」と詠った。
室町初期、夢窓疎石は、天龍寺十境の一つに取り上げ、「三級厳」と名付け、名所図会に描かれてきた。
しかし、角倉了以の保津川開削で多くが削り取られ、明治以降に行われた治山工事により、規模が縮小したこと、樹木が繁茂したことで、対岸からほとんど見えなくなった。
20/11/13、現地を通ったときに拝見したが、落差があり、人の手が入る以前の豪快な姿を想像してみるのもまた楽し。
戸無瀬の滝について、二通りの説がある。
①「嵐山から流れ落ちる滝」②「大堰川の急流となっているところを“滝”と表現した」どちらも間違っていないだろうが、②「大堰川の急流部分」は近代の河川の改修工事でなくなったらしい。
「嵐吹く山のあなたのもみぢ葉を戸無瀬の滝に落としてぞ見る」(源経信続/古今集)「大井川となせの滝に身をなげて早くと人にいわせてしがな」(空仁法師/千載集)「大井河ちるもみぢ葉に埋れてとなせの瀧は音のみぞする」(大中臣公長/金葉集)「惜しめどもよもの紅葉は散果ててとなせぞ秋の泊なりける」(藤原公実/金葉集)「鵜飼舟下す戸無瀬の水馴棹さしも程なく明るよは哉」(藤原良経/秋篠月清集)「あらし山花よりおくに月は入りて戸無瀬の水に春のみのこれり」(橘千蔭)「となせ河玉ちる瀬々の月をみて心ぞ秋にうつりはてぬる」(藤原定家/続千載集)「戸無瀬の滝」関係の歌を並べてみた。
感想として、上記②「大堰川の急流となっているところを“滝”と表現した」ようなものが多い気がする。
それはともかく、やはり秋の歌が主流になっている。
昔は大きな滝だったそうですが、江戸時代の開発でかなり削られてしまったみたいです。
ちっちゃいけどちゃんと瀧です(ФωФ)🍀
名前 |
戸無瀬の滝(半人工) |
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ジャンル |
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住所 |
〒616-0007 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町12 |
評価 |
3.7 |
渡月橋の上流に流れ落ちる。
戸無瀬の滝が明治以後の災害防止の為に行われた。
治山工事により規模縮小された為に現在では、対岸からだとほとんど見えません。