堅固な石垣と鬼門櫓、平櫓が現存。
堀やお城の石積みは、凄い綺麗です。
城跡は、小学校と中学校になってますが海側は、ベンチ等在り整備されてます。
石垣が立派で目を引きました。
城跡に学校が建っていますので、中には入れません。
名城に選ばれていても不思議が無く感じました。
広範囲で城跡の石垣を観る事が出来ます。
移築された櫓の中も見学出来ます。
立派な石垣をぐるっと見て回れました。
城跡は小学校が建っていて、歴史的価値ある場所の学校、羨ましい限りです。
今はもしかしてわからないかもだが将来、どれほど素晴らしい所に学校があるかきっと理解できるかと。
石垣は崩れていたりせず、見応えありです。
すぐ、海に出れました。
内海で穏やかな海だからこそ、立派な石垣が残っているんですね。
日出城址は現在小学校が建てられており、その周辺をぐるりと一周周回することができます。
見どころはやはり南側からの反り建つ石垣だと思います。
城址には日出小学校が立っていて海に向かっての擁壁が城の城壁として残されている状態ですので城壁の階段を登っていくと突然小学校のグランドに入ってしまいました。
海との間に挟まるように公園と遊歩道が沿って歩けて海が綺麗に眺める事ができました。
近くの資料館に車を停めさせていただき周辺を散策しました、観光案内所がそばにあり駐車場があったのでそこも無料で車を駐車が出来ると思います。
日出藩🏯三万石とは思えない🤔立派な石垣です😃❗。
別府湾と風景が良く似合う😄。
天気良ければ別府湾、大分港が見通せます。
夜に行けば夜景が美しいです。
払い下げられ廃墟に近い鬼門櫓をかって見たが面目新たに綺麗になった姿を見て…何か物足りない。
倒壊寸前の水木しげるの妖怪漫画に出て来そうなあの櫓も良かった。
お城は今は小学校。
学校に入ったりはできないが、周りを歩ける。
海からそそりたつ石垣は往時の城の巨大さを感じさせる。
2021.8.28 コロナで櫓は見学できなかったが外観は何とか海岸から延びる石垣は綺麗に整備されています天守閣があった場所辺りには小学校があり時代に馴染んでいない間も有ります。
2021年の3月に行きました。
立派な石垣でまさかそのうえに学校があるのは意外でした⁉
さくら🌸の時期は、最高ですが、いつでも別府湾が望めて楽しめる所です😍
立派な石垣(野面積み)や堀に感動でしたッ!縄張り内には学校があり石垣の上が校舎になっていましたッ!学生さんは毎日石垣や堀を観ていると思うとうらやましいと感じました。
海に面した城跡なので一緒に眺めてみては如何でしょうかッ!すぐ近くに無料の駐車場あり。
小さな城跡やったけど雰囲気があってめっちゃ素敵でした👌ひとり旅の散策にぴったりやな😃
【細川忠興に関連あり】大友氏の豊後国支配時代、大友氏配下の大神氏が日出城を拠点とし、文禄2年(1593年)の大友義統の改易の後は速見郡の郡代となった豊臣氏家臣の毛利重政が日出城の城代となっているが、この日出城は現在残る日出城とは立地が違うとされている。
現在残る日出城は1601年から1602年(慶長7年)8月に日出藩の初代藩主木下延俊が、義兄であった細川忠興の支援を受けて築城した。
細川忠興が縄張りを行い、木下氏家臣の穴太理右衛門(「穴太衆」参照)が野良積みの技法で石垣を構築した。
別名「暘谷城」と呼ばれるがこれは、3代藩主の木下俊長が 中国の古書、『淮南子』から引用して名づけたと伝えられる。
海に近い城跡で日の入りが見れました。
藩主は海からも移動していたようです。
明治7年に廃城となっており、現在天守閣はありませんが石垣がキレイに残っています。
地元の人達の散歩コースになっているようです。
暘谷城天守閣跡、城壁、お堀跡などが遺っています、大分県唯一現存する藩校致道館が移築改修されて建物内見学できます、全国唯一の隅を欠いた鬼門櫓(隅櫓)も移築改修されて建物内見学できます、鬼門櫓隣には資料館が在り、無料駐車場も在ります、二の丸館には観光案内所に地元特産品の販売コーナー、展示スペース、軽食喫茶店が在り、公衆トイレに無料駐車場が有ります、二の丸館敷地内には裏門櫓が移築改修されて在ります、本丸跡には小学校が在ります、正門横に「豊後の三賢」の一人、帆足萬里や、代々日出藩の要職を務めた瀧家出身の瀧廉太郎の銅像があります。
暘谷城の起こりは、慶長6年(1601年)に関ヶ原の戦いでの功により、木下延俊公が豊後国日出3万石に封じられ日出藩初代藩主に成りました、翌慶長7年(1602年)8月に入城、城の縄張りは義兄の細川忠興公が行い、石垣は細川家家臣の築城の名手・穴生理右衛門が野面積みの技法で築いたと云われています。
昭和35年に海岸遊歩道工事の際に城址西南端から木棺が発見されました、木棺は岩盤をくりぬいた穴に納められていて、その上には大きな石が乗せられ石垣の基盤になっていました、棺の中には老武士らしき人骨が納められ、当時、城の西南端地盤が軟弱だったらしく、城の裏鬼門に当たる場所だったので、人柱だったのではないかと考えられ、現在人柱祠が祭られています。
暘谷城の命名は3代藩主・木下俊長公が中国古書【淮南子(えなんじ)】の一節「日出於暘谷 浴于咸池日(暘谷(ようこく)より出でて咸池に浴す)」より引用し命名したものと云われています。
木下延俊公の記した慶長日記の中には慶長18年に御伽衆として❛無二な❜る兵法者を召し抱え、木下延俊公に剣術指南をしていた様で、歴史剣豪好きにはお気づきだと思いますが、この無二が宮本武蔵だったのではないかと推察されます。
歴史好き、お城好きには観光してほしい城址です。
公園も整備されていて海も近く四季それぞれに楽しめる所だと感じました!
お城は無いが代わりに小学校が建ってます。
5月の第2土日に開催される 城下カレイ祭りのメイン会場になる。
静かで眺めの良いところです。
穏やかな所です。
日出城は木下延俊が、慶長6年(1601年)徳川家康から豊後国速見郡3万石を与えられ、1年ほどで完成した平山城の城郭です。
国東半島の付け根で別府湾を臨む位置にあります。
ただし、当時の豊前中津城主の細川忠興が自ら縄張を担当し、援助をしたため少ない石高と短い築城期間の割には立派な城でした。
木下氏は豊臣家と血縁関係のある外様大名として微妙な立場だったようですが、金山や銀山を開発し、のちには水利事業や紙漉を推進し、幕末まで16代続きました。
ちなみに城下カレイは城の麓の海域から真水が出るようで臭みがなく、往時は武家のみが食せ、将軍家へも献上されていました。
本丸は現在、日出小学校の敷地になっています。
南東隅に3層の層塔型天守がありました。
因みに三の丸は日出中学校です。
二の丸館が観光施設としてありかつては民家に払い下げられていた裏門櫓と鬼門櫓が元々と違う場所に移築復元されています。
まさか!こんな立派な石垣の上に、ふつうに小学校が建ってるとは・・・しかもこの石垣は穴太衆の手によるものだとか?正直「城下カレイ」のお城って全然残ってないと思ってたから、実際に行くとビックリです。
堅固な石垣と鬼門櫓、平櫓が現存。
城主は有名な木下家。
名物は城下かれい。
古式的な石垣の造りは見事な造り。
穏やかな別府湾がよく見えます。
別府湾鶴見岳の眺めが最高。
北は奥平、東が能美松平、西が天領、海を隔てて南が大給松平という親藩、譜代藩の真ん中で豊臣姓を幕末まで繋いだ木下氏の城2万石とは思えない規模の城で、三層天守、一段下がって二層の望海櫓、さらに一層下がって平櫓という連郭形式の天守閣群今も城下公園側から見る入り組んだ石垣がとても綺麗です。
暘谷駅から日出城址往復を歩くこと約40分。
ゆったりとした気分で歩くことが出来た。
もう少し余裕があればよかったと少し後悔しているが。
次の列車までの時間を有意義に使ったのである。
別府、古墳、城下町へと散策、探訪が目的で全てが良かったな。
名前 |
日出城址 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0977-73-3158 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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別府湾を望む素晴らしい城跡晴れの日は海猫の囀りを聞きながら、古の雰囲気の中でお散歩‼️