名前 |
公衆トイレ |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
学校の便所。
30年前の探訪では木造校舎も存在していた。
山の中腹の比較的平な場所に東西に道があるだけの閉塞的な集落に最盛期はどれだけの子供が存在していて、どの様な生活が営まれていたのか、学校職員は通勤(ネット情報では教職員宿舎が存在した)なのか、職員寮なのか、郵便局の存在、街道故に、村役場も大君ヶ畑じゃなくこちらに構えていた。
地域の医療、歴史や、祭り、出来事に興味が広がります。
近代化以前の地理的に閉塞的な環境である様に感じるが、昔は当たり前と推測される。
しかし、誰が最初に開拓移住し、住居を構えたのか、多賀大社詣や、伊勢参りの街道的な峠で、下から登ってようやく休める平な部分であり、多くの馬を休めたり、大勢の人が休んでいたのが、宿場的な拠点に変化したのが最初なのでしょうか、、、情報や、物品を中継する中間地点なのでしょうか・・集落の中では個々が得意な仕事を担い助けあい、又は旅芸人、旅人が得意な分野の仕事を助けたり、そのまま永住したり、様々な事があったでしょう。
自給自足が主で、最小限なコミュニティが存在していて生活にも不自由なく、何世代もが続くエコで、ミニマムで環境に優しいのも興味深いです。
大量消費は時代遅れで、これから小規模で自給自足な社会集団は逆に見習うべき最先端かも・・・人が大量消費を幸福と感じてしまい、見失いがちな、他者と比較で得るマヤカシな満足、外側から得る満足や、幸福度よりも、原点に立ち返り、自然と共に生きて、自然や自然の神(集落あるところに神社あり)に感謝を持つ考え方とか、スローライフの憧れとか、現地へ行くと多くを考えたり、栄枯盛衰の寂しさや、様々な想像や推測が膨らみ、考えさせられます。