この歌が聞こえてきました。
「おいらはこの村の槍持ちだ蛇(ヘビ)も蝮(マムシ )もどつけどつけ」江戸時代のこの辺りからは、この歌が聞こえてきました。
江戸時代のこの地は、徳川将軍家の直轄領だったため、将軍家の飼う鷹の餌となるケラ(バッタの仲間)を年貢として納めていました。
ケラは穴を掘って生活する半地下性の昆虫なので、比較的土の柔らかい、水辺に棲む昆虫です。
水も豊かな場所は、ケラにとっても良い環境ですが、毒蛇のマムシもまた、水辺を好みます。
村民は国分寺崖線沿いの斜面を、上の歌をマムシ避けのおまじないとしながら、ケラを採集しました。
マムシは当時、水辺であれば何処にでもいるポピュラーな生き物です。
それが敢えて沢の名になった、というのは、このように、村民の生活と密接な関係があったからです。
ちなみに、この沢の終着点はもちろん、その直ぐ南を流れる次大夫堀こと六郷用水(現 丸子川)ですが、まむし沢が流れ込む場所には橋が架かっています。
この橋の名は、今は雁追橋(かりおいばし)と言いますが、当時は螻蛄追橋(けらおいばし)だったと思われます。
名前 |
まむし沢の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
まむしが住んでいた場所ですって。
昔は、どこにでもでていたので何故特殊性があるのかはわからないです。