江戸城時代の巨大城の名残りの隅櫓です。
立派な櫓、地方のお城だと、天守に匹敵する規模の櫓です。
江戸城時代の巨大城の名残りの隅櫓です。
小さいお城の天守位はありますね!天下城らしく石垣の高さも凄く高いです。
清正公が建てた打込接の石垣(と、ガイドの人は説明してたけど、これ野面積なんじゃないのかなあ、、、、、)。
櫓自体は明暦の大火でほとんど消失したものの再建された。
震災でも持ち堪えた石積みだそうで、知らない人にここがお城だと言ったら信じそうなくらい立派な櫓。
ちなみに富士見という櫓ですが、現在では高層ビルがあるのでこちらから富士山は見えないそうです。
皇居ツアーを申し込むと最初に現れるポイントです。
どの方向からも同じように見えるそう。
石垣が圧巻です。
白の壁と黒い瓦が、青い空に映えて、美しかったです。
富士見櫓は、乾門通り抜け(11月下旬~12月上旬頃)の際にのみ石垣下から近づけます。
通常は東御苑から北面のみを見ることができますが、内部の一般公開はありません。
(名称の似ている富士見多聞の方は通年公開されています)写真は大嘗宮一般公開(2019.12.08.撮影)のときのものです。
富士見櫓は、江戸城本丸東南隅に位置し、江戸城遺構として残る唯一の三重櫓。
現存する三重櫓は、1657年の明暦の大火での焼失後、1659年の再建。
どの角度から見ても同じような形に見えることから、「八方正面の櫓」の別名も。
天守焼失後の「代用天守」の櫓ともいわれています。
富士見櫓の上からは、その名の通り富士山をはじめ、秩父連山や筑波山、江戸湾、さらには将軍は両国の花火などを眺望したのです。
富士見櫓が建つ場所は、天守台についで高い場所に位置し、眺望的には江戸城のなかでも一等地で、徳川家康の江戸城築城以前、太田道潅の築城した望楼式の「静勝軒」があったのは、この富士見櫓の場所ではないかと推定されています。
石垣は主に伊豆の自然石を野面積みで、シンプルながら関東大震災でも崩れなかった堅牢さを誇り、加藤清正の普請と推測されています。
石垣の高さは14.5m、櫓の高さは15.5m。
櫓は大正12年の関東大震災で損壊しましたが、大正14年に補修されています。
そのためなのか、現存する三重櫓のうちで唯一重要文化財になってない櫓です。
櫓と言えども立派で、小さな天守閣のようである。
名前 |
富士見櫓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3213-1111 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
江戸時代の建物が残っています。
昔は富士山が見えていたようです。