知らない人にここがお城だと言ったら信じそうなくらい...
江戸城の中で1番高かった建物。
築城の名手の加藤清正の作った石垣。
1657年の大火事で一度焼失、1659年に再建されたもの。
当時は再建後天守閣の代わりを果たした重要な建物。
昔は富士山も見えたそうな。
2023.10 富士見櫓は、1659年の再建で、1657年の大火で天守閣を消失後、「代用天守」とされている。
眺望が良く、徳川時代の将軍は、ここから富士山や、両国の花火を眺望したとの事である。
石垣は野面積みで、関東大震災でも崩れず、加藤清正の普請とされている。
この櫓を含め旧江戸城の現存する櫓は、三ヶ所(伏見櫓、桜田巽櫓)ある。
江戸時代の建物が残っています。
昔は富士山が見えていたようです。
富士見櫓は、明暦3年の大火で焼失した2年後の万治2年に再建されたもので、江戸城の本丸の建物の中で現存する貴重な遺構となっています。
天守閣は明暦3年の大火で焼失した後は復旧されなかったため、富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられています。
高さ約16メートルの美しいシルエットを見せる三重の櫓は、どこから見ても同じ形に見えるため八方正面の櫓とも呼ばれていました。
大正12年には関東大震災の被害を受けましたが修復されて現在に至っています。
また,優美な曲線を描いている石垣は、自然石の割石を多く用いているのが特徴であり、積み方は初期の打ち込みはぎです。
関東大震災でもまったく崩れなかったそうで、この石垣を作ったのは主に加藤清正公と言われています。
立派な櫓、地方のお城だと、天守に匹敵する規模の櫓です。
江戸城時代の巨大城の名残りの隅櫓です。
小さいお城の天守位はありますね!天下城らしく石垣の高さも凄く高いです。
清正公が建てた打込接の石垣(と、ガイドの人は説明してたけど、これ野面積なんじゃないのかなあ、、、、、)。
櫓自体は明暦の大火でほとんど消失したものの再建された。
震災でも持ち堪えた石積みだそうで、知らない人にここがお城だと言ったら信じそうなくらい立派な櫓。
ちなみに富士見という櫓ですが、現在では高層ビルがあるのでこちらから富士山は見えないそうです。
皇居ツアーを申し込むと最初に現れるポイントです。
どの方向からも同じように見えるそう。
石垣が圧巻です。
白の壁と黒い瓦が、青い空に映えて、美しかったです。
富士見櫓は、乾門通り抜け(11月下旬~12月上旬頃)の際にのみ石垣下から近づけます。
通常は東御苑から北面のみを見ることができますが、内部の一般公開はありません。
(名称の似ている富士見多聞の方は通年公開されています)写真は大嘗宮一般公開(2019.12.08.撮影)のときのものです。
富士見櫓は、江戸城本丸東南隅に位置し、江戸城遺構として残る唯一の三重櫓。
現存する三重櫓は、1657年の明暦の大火での焼失後、1659年の再建。
どの角度から見ても同じような形に見えることから、「八方正面の櫓」の別名も。
天守焼失後の「代用天守」の櫓ともいわれています。
富士見櫓の上からは、その名の通り富士山をはじめ、秩父連山や筑波山、江戸湾、さらには将軍は両国の花火などを眺望したのです。
富士見櫓が建つ場所は、天守台についで高い場所に位置し、眺望的には江戸城のなかでも一等地で、徳川家康の江戸城築城以前、太田道潅の築城した望楼式の「静勝軒」があったのは、この富士見櫓の場所ではないかと推定されています。
石垣は主に伊豆の自然石を野面積みで、シンプルながら関東大震災でも崩れなかった堅牢さを誇り、加藤清正の普請と推測されています。
石垣の高さは14.5m、櫓の高さは15.5m。
櫓は大正12年の関東大震災で損壊しましたが、大正14年に補修されています。
そのためなのか、現存する三重櫓のうちで唯一重要文化財になってない櫓です。
櫓と言えども立派で、小さな天守閣のようである。
名前 |
富士見櫓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3213-1111 |
住所 |
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関連サイト |
https://sankan.kunaicho.go.jp/multilingual/koukyo/place03.html |
評価 |
4.4 |
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富士見櫓「櫓」は、城の隅など重要箇所に造られる防御施設の役割をもった建物です。
かつて江戸城には多くの櫓 がありましたが、現存する物は、富士見櫓、伏見櫓、 巽櫓の3つとなりました。
富士見櫓は、明暦の大火 (1657年)で焼失しましたが、その後間もなく再建 され、天守の代用としても使われていました。
将軍が 富士山や両国の花火、品川の海を眺めたといわれています。