見落としがちですが歴史ある場所です。
サイクリングコースやハイキングコースの途中にもなっている小さな公園です。
瓦葺掛樋跡は享保13年に制作された用水の要所として作られたそうです。
詳しくは歴史の看板画像をご覧ください。
隣接する学校も時代とともに遡ってみたい気持ちになります。
付近はかつて荒川主流を流れる河川が江戸東京の洪水を食い止めるために、親子3代に渡り利根川へ掘削し流れを変えていった歴史も有名ですね。
週1回以上ウォーキングで休憩時に立ち寄ります。
掛樋(かけどい)田の用水路(見沼代用水)と田の排水路(綾瀬川)の交差点、お互いの流れを其のまま流す為には、用水路は排水路より高い所を流さないといけない、一番の難所だった所を、掛樋という工法で用水を流した、江戸時代は木造構造だった為に、度々掛替えていたみたいで、髙費がかかったようで、大変苦労したと記載されている、その後深谷レンガを橋台に使った物に変更され、今残っているレンガがその名残らしい。
(例)木造だと、よく昔の人が言っていたことを、思い出しました、(風が吹けば桶屋が儲かる)現在は掛樋の際を、伏越(ふせこし)用水路を使って用水を流している。
(伏越とは)別の川の下を、くぐり抜ける工法、用水路のトンネル工法のこと。
また見沼代用水路は掛樋の先で、用水路が西縁(にしへり)と東縁(ひがしへり)の二手に別れる。
西縁は、蕨市の芝で、一般川に合流、その後芝川に合流、その後環状七号線の鹿浜橋付近で荒川に合流、その後若洲海浜公園先の東京湾に流れ落ちる。
東縁は、足立区の見沼代親水公園、近くを流れる毛長川に合流、その後綾瀬川に合流、その後中川に合流、その後東京メトロ西葛西駅付近で荒川に合流、その後若洲海浜公園先の東京湾に流れ落ちる。
利根大堰から水田用の用水路なのに、水田耕作が終わっても、通水.....?見沼代用水路は掛樋の先にある、元水田地帯を、蛇行するように流れています。
※白岡市芝山の伏越は、以前よりスマートな伏越になり、旧伏越の欄干が側にある小さな後野公園に、モニュメントで置かれています。
名前 |
瓦葺掛樋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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見落としがちですが歴史ある場所です。