中津浄喜寺で出会う歴史の息吹。
宝蓮坊の特徴
慶長5年に細川忠興が開基した浄喜寺をお楽しみください。
本堂に安置された尊像は必見のスポットです。
美しい楼門が当時の面影を残す静かな寺院です。
掲示板楽しみです💕✨南无不可思議光如来✨
慶長五年(1600)、細川忠興が中津城に入封の際、名僧の誉れ高かった行橋浄喜寺の村上良慶を伴って、中津浄喜寺を開基させた。
これが後、宝蓮坊と改称されたものである。
宝蓮坊はその後代々名僧が続いたが、特に第三世村上良道(この良道より村上家は代々中津藩の御典医を勤めた。
)は学問に秀で、勅命により聖徳太子の経典を進講し、天皇から非常なお誉めを戴き、大阪四天王寺奥の院にまつられていた太子の尊像を拝領した。
この太子像は室町時代初期の傑作と言われている。
良道は帰国後堂を建て、多くの信者に講義を続けていたが、永年の風雨により堂は崩壊し、尊像は現在本堂に安置され、楼門のみが当時の面影を残している。
写真の素敵なスポット(原文)ice Spot for Fotografi
名前 |
宝蓮坊 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0979-22-4324 |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
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【細川忠興に関連あり】⇒尊像は現在本堂に安置され、楼門のみが当時の面影を残している慶長5年(1600年) 細川忠興が中津城に入封の際、行橋 浄喜寺の村上良慶を伴って、中津浄喜寺を開基させた。
これが後 宝蓮坊と改称されたものである。
宝蓮坊は代々名僧が続き、第3代村上良道(この良道より村上家は代々中津藩の御典医を勤めた)は学問に秀で、勅命により聖徳太子の経典を進講し、天皇より非常なお褒めの言葉を戴き、大阪四天王寺の奥の院に祭られていた太子の尊像を拝領した。
この尊像は室町時代初期の傑作と言われている。
良道は帰国後堂をたて、多くの信者に講義を続けたが、長年の風雨により堂は消滅し、尊像は現在本堂に安置され、楼門のみが当時の面影を残している。