黒田長政は宇都宮一族を悉く殺した。
黒田家、宇都宮氏ゆかりのいわく付きのお寺。
赤い壁はやはり目を引く。
寺に続くみ道は狭いが車でも行ける。
寺の前に空き地があり駐車出来る。
赤色の壁は珍しいですが境内は閑散としており立ち寄りは2〜3分程度かと。
この他の寺も同様の作りで入っては立ち去るを繰り返す内容、寺町としての造りは風情があるもののこれだけを見に来る程ではないかと…(-_-;)。
唐津城と諭吉記念館の3セットで来るのが駐車場も困らずオススメです!
中津駅から中津城に向かう途中に、鮮やかな赤壁にびっくりする。
そして黒田家の血塗られた策略の逸話を聞いて、さらにビックリする。
そして、その赤色は中津に向かう日豊本線の各駅の色とソックリだったりする。
豊臣秀吉と黒田官兵衛は宇都宮を騙し、黒田長政は宇都宮一族を悉く殺した。
その後、黒田の合元寺には血が滴り落ち、何度も塗り替えても血が滴り、とうとう壁を真っ赤に塗り替え、合元寺は現存されている。
徳川家康が2度調停した伊集院忠真の乱、〔庄内の乱〕。
豊臣秀吉の準家臣、伊集院忠棟斬殺から端を発した島津家と伊集院家の1年間の大乱闘〔庄内の乱〕。
島津義弘は〔庄内の乱〕が原因で、天下分け目の関ヶ原の戦いで小勢で参戦し、徳川家康軍のド真ん中に突撃!敵中突破した。
〔庄内の乱〕後、伊集院忠真が暗殺された場所周辺で、不審死、火事、祟りが後を断たず、恐れおののいた住民は真っ赤な〔伊集院忠真の供養塔〕を宮崎県小林市野尻町に建立した。
伊集院家は病人、えたひにん、百姓など弱者を救った優しい一族の様で、周辺住民から愛されていた。
今日も真っ赤な〔伊集院忠真の供養塔〕は市の文化財として現存され、大切に祀わられている。
庄内の乱」は田代義博の〔都城の乱〕という小説が面白いです。
宮崎県第2の都市の都城市(みやこのじょうし)の由来となった都之城が「庄内の乱」の舞台。
血の海となった激闘地。
九州をほぼ制覇した島津義久、その弟、島津義弘は関ヶ原で徳川家康軍を敵中突破した。
その鬼島津こと島津義弘の娘が、伊集院忠真の妻の御下。
島津義弘の息子の島津忠恒が伊集院一族を皆殺しにします。
島津忠恒は徳川家康から「家」の文字を拝領され、島津家久と改名。
鹿児島城を築城し、初代薩摩藩主となります。
(島津4兄弟の大物大名を3首級した島津家久とは別人)
本当に全てが、真っ赤でした😵あと住職さんも気さくな方で、寒いから中に入って待ってて下さいと、入れて頂きました😊あと、御朱印もして頂きます✨😌✨
黒田如水が前領主宇都宮重房を謀略結婚により中津城内で殺害した時に宇都宮の家臣らが城から脱出し、この寺を拠点として奮戦し、壮絶な最期を遂げた。
以来門前の白壁は幾度となく塗り替えても血痕が絶えなかったので赤壁にしてしまったという。
宇都宮氏は豊臣にとっても黒田にとっても目の上のたん瘤で九州統一のためには邪魔な存在であったからこの様な卑劣な方法しかとることが出来なかったのであろう。
黒田にとって最大の汚点である。
それと、宇都宮氏の子孫は私の叔母の友人だったのだ。
それと、「赤壁」を「せきへき」と読まないようにね。
名前 |
合元寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0979-22-2037 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
まさに赤壁のお寺!塀だけでなく、本殿の壁までもが、赤い!三願成就の地蔵尊で、黒田官兵衛の頃の古戦場です。
境内には、おねがい地蔵なるお地蔵さんがあります。
絵葉書(50円)、御朱印(300円)など販売されています。
中津駅からも遠くなく、歩いていけますよ。