源義経の恋人である静御前のお墓がある。
栗橋駅から100mの商店街クラッセの中にある久喜市の史跡、源義経の恋人である静御前のお墓がある。
大きな静御前の看板は看板にする為に静御前の像から撮影した写真が元、その写真は10年前に私が撮影しました、静御前終焉の地と言われいる。
静御前は磯の禅師の一人娘です。
仁安3年,1168年に生誕。
文治5年1189年9月15日、この地で死去と伝えられています。
当時、この地にあった高柳寺に遺骸を葬られたそうです。
毎年9月15日は静御前の命日ですので、静御前の祭りがあるそうです。
源義経終焉の地が平泉であったせいか?、別行動であった静御前に纏わる伝承の地が東北方面に多い。
史実か否かは不明。
以下Wikipediaより鈴ヶ神社 (岩手県宮古市鈴久名)静御前墓 (新潟県長岡市栃尾地域(栃堀))美女池・静御前堂 (福島県郡山市)静御前通り (〃 〃)御前井戸 (福島県伊達市月舘町下手渡)亀井の水(宇都宮市下河原町)鏡ヶ池 (宇都宮二荒山神社の下之宮西側)御前桜・静さくら (宇都宮市野沢町)思案橋 (茨城県古河市下辺見)現・光了寺 (茨城県古河市)〔埼玉県久喜市栗橋にあった元・高柳寺〕静村 (かつて埼玉県北葛飾郡にあった村。
現在の久喜市北部あたり)静女の墳 (埼玉県久喜市栗橋)静御前墓と義経招魂碑 (当地・栗橋駅 東口)静御前墓と磯禅尼供養碑 (長野県大町市美麻大塩・薬師寺)
栗橋駅を出てすぐ近くにあります。
横には地元の商店街があり、人通りは多い場所にあります。
京都からこの“栗橋の関所”まで義経を追ってこられたのですね。
栗橋駅東口徒歩1分。
このために下車することはおすすめしませんが、近くの居酒屋さん目当てなら立ち寄っても良いと思います。
栗橋駅の東口からすぐ。
この辺りは旧宿場町の雰囲気を残していて歴史的な建造物も見られます。
源義経の内妻であった静御前は義経の後を追って平泉に向かう途中、 文治5年(1189年)9月15日、久喜市伊坂で悲恋の死を遂げたと伝わっています。
そして、侍女琴柱が 静の遺骸を当時この地にあった高柳寺(現・中田光了寺)に葬ったとのことです。
名前 |
静御前の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.kuki.lg.jp/smph/miryoku/rekishi_bunkazai/bunkazai/shiseki/shizuka.html |
評価 |
3.6 |
義経は奥州に逃げたのでした。
静御前は待女を共に奥州の義経のもとへ向かうのだが、途中この辺りの橋で義経が亡くなったと聞き及び行くべきか戻るべきか悩んだ末に戻ることにしましたが、御前は体調を崩し此処で命を落とすのでした。
そのため侍女が高柳寺に菩提を弔いましたが寺が移り今ではそのお寺もありません。
そんな話を聞き及び此処を訪ねました。
何度か移転したした寺は古河市の中田光了寺で現存していますが、こちらは真宗大谷派で親鸞上人が開祖のお寺となっています。
静御前に合掌🙏令和四年五月二十日。