脇を進んで行くとひっそりとありましたが雑草などはきれいにされており大事にされてるようです。
碑はよく読めませんでしたが、説明書きがあります。
猪俣氏開祖と言われていている、児玉郡美里町大字猪俣にある高台院には猪俣氏代々の墓があり、猪俣小平六範綱の墓と伝わる墓石が県指定文化財となっています。
資料によると、猪俣党とは、多摩郡横山(現在の東京都八王子市)を中心に分布していた武蔵七党の一つ横山党の支族とされ、主に児玉・大里・比企郡に分布していたとされています。
猪俣氏は、小野篁(おののたかむら)の子孫とされ、時資の代に猪俣村に住んで以来猪俣氏を称し、武蔵武士の猪俣党として勇名を馳せた。
猪俣小平六は、時資四代の子孫で、源義朝(みなもとのよしとも)に従い 軍功をあげ、義朝16騎の雄将として知られています。
また源頼朝にも仕え、しばしば戦場で功績をあげたとされています。
小平六は建久3年(1192)11月に死去し、その後、詳しい年代は不詳ですが、一族の霊を慰めるため、毎年盆の15日に墓前にあたる堂前山に百八燈がともされるようになりました(猪俣の百八燈)。
とあります。
名前 |
猪俣小平六の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
猪俣小平六綱範は源平の合戦で活躍した武士で、小野篁の子孫で武蔵七党の横山氏から別れた猪俣氏でお互い武蔵七党の横山党と猪俣党に分かれています。
小平六の墓所がお寺とちょっと離れた所にあります。
近くには8月15日に行われる百八灯という行事があります。
猪俣小平六の霊を静めみんなの無病息災を山の麓に108の明かりを灯す行事があり花火も上がります。
猪俣小平六綱範は西暦1192年だそうです。