当時の締切阯はもう少し(約0.4km)下流です。
この場所の右下(4時方向)に「ベチュラビアンカ」というホテル(?)があり,その両サイドに川筋の青線が見られます。
その左の青筋が「会の川」なので,実際はその延長上で締め切られたのだと思います。
この川は下流で葛西用水路に接続し,さらに葛西用水路はその下流で大落古利根川となる。
その古利根川は,松伏の古利根堰で逆川や二郷半用水路に水を供給し,その下流の下赤岩で中川(庄内古川)を受け入れ,そこから下流は中川となり古利根川の名前ではなくなる。
逆川は越谷市街を流れ,元荒川を伏せ越した後,葛西用水路と元荒川に水を流して終了となるようです。
往古の利根川はこの地点で二つに分れていたらしい。
文禄3年3月(西暦1594年)忍城主松平忠吉は小笠原三郎左衛門に命じて幹川を締切らせ利根川東遷が始まったという場所。
ということらしい。
が、歴史に詳しくない自分からするとちんぷんかんぷんである。
名前 |
川俣締切跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.2 |
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とりあえず気になったので、写真を撮っておきました。
何が書かれているかは、写真をご参照ください笑。