滝廉太郎といえば「荒城の月」。
滝氏は23歳の生涯、今回の訪問も23年ぶり、当時の秋にお世話って以来でした。
今も変わらずに残っていることを嬉しく思いました。
コンクールに出場される音楽学生たちを、いつまでも見守ってください。
滝家は元々別府近くの日ノ出町を治める殿様の家老だった家系で、明治時代に竹田へ一家で引っ越して来た。
思春期を竹田で過ごした廉太郎が、姉が楽器を習っていたここでの生活を通して音楽に目覚め、名曲の数々を遺す大作曲家へと成長して行った。
滝廉太郎はこの家と竹田という町がとても好きだったのだとしみじみ思った。
近代日本を代表する作曲家滝廉太郎さんは12歳~14歳まで竹田市で過ごしました遊び場にしていました「岡城跡」を思い出して名曲「荒城の月」が生まれています⁉️居宅では彼の思いや手紙や資料に馬小屋に離れの勉強室良いですね!
1879年生まれ、瀧廉太郎は12歳の頃竹田で2年間過ごしました。
自宅から2キロ離れた岡城があります。
荒城の月で有名な曲は誰でも知っている。
庭先の縁側にしばし座ってみるのもよかったです。
当時野生の狐が来ていたようです。
あまりにも短い人生でした。
滝廉太郎が暮らしていた平温な日々にタイムスリップし、心を休めながら、滝廉太郎が聞いたのと同じ風の囁きに耳を澄ませる事ができます。
庭には、ドイツのライプツィヒから贈られた瀧廉太郎との友情のバラ「メンデルスゾーン」が植えられていました。
(瀧廉太郎はメンデルスゾーンが設立したライプツィヒ音楽院へ留学するも、結核になり無念の帰国)
駐車場は近くの銀行駐車場を借りました。
瀧蓮太郎に関する資料を展示されています。
瀧廉太郎の旧邸です。
庭の奥の蔵がメイン。
付近に廉太郎トンネルがあって、彼の曲が流れます。
滝廉太郎が 二年間暮らした家だそうです。
お父さまの仕事柄 転勤族だったそうですが、なかでも この竹田の家が一番お気に入りだったそうです。
昔にしては豪華な家だなという感じです離れもあります。
23 歳で亡くなったとは思えない程の名作を遺していたとは考えてもいませんでした!すぐ近くに岡城も在り古に想いを馳せる気持がありありと伝わってきました!
すごいぞ歴史!
滝廉太郎といえば「荒城の月」。
小学校の音楽の授業で習った。
「荒城の月」で知られています、12歳から14歳迄住んでいた旧家を記念館としています、館内は少年時代を再現し楽譜、墨絵、手紙等の遺品を展示しています。
竹田の町並みは雰囲気が良く散歩に良い所です。
ここ記念館も当時のまま綺麗に保存されています。
係の方が丁寧に説明してくれます。
建物が良いから。
街歩きにもぴったり。
解説ビデオもイイ味。
大分市遊歩公園に滝廉太郎終焉の地の碑があります。
名前 |
瀧廉太郎記念館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0974-63-0559 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
ニュースキャスターの筑紫哲也さんは滝廉太郎の親戚だった!