古い建造物を綺麗に管理している。
古い建造物を綺麗に管理している。
恥ずかしながら、田能村竹田という風流な日本画家を知らなかった。
江戸時代も終盤に差し掛かる頃、有名な学者の頼山陽や正義漢である大塩平八郎と親友であり、ここで桃源郷とも言うべき生活を送っておられた偉大な方だった。
頼山陽はここへ泊まりがけで遊びに来て辺りを観光し、気に入った渓谷に名前を付けた。
それが耶馬溪だという。
係の人から教わった話である。
竹田翁がここに居られなければ、耶馬溪の名前は生まれていなかったのかと思うと不思議な気持ちになり、ここで友の来訪を喜ぶ竹田翁の姿を見た気がした。
竹田歴史民族資料館が新しくなったと同時期に綺麗になりました。
以前はただのボロ屋(失礼)で回りも草だらけ。
エレベーターが出来てから、アクセスも良くなりましたが。
雰囲気を楽しむなら、コケ蒸した石垣を観ながら歩くのをお勧めします中は悪く言えば昔の綺麗な民家ですが、手をいれたために今っぽさがあります。
後は来てのお楽しみ。
それっぽい坂道を降れば、竹田茶寮がありますが、そこまでは昔を感じられます。
歴史資料館と連結して見に行けますね無学なので田能村竹田さん初めて知りました国指定史跡の建物は当時を思わせる事が出来ますね2階真っ暗^_^;
今年の2月頃に訪問しました。
日本家屋特有の木の香りや静けさを肌で感じることができました。
2階にも行ってみようと思いましたが閉館間際ということもあり今回は断念しました。
また、旧竹田荘には竹田荘公園が隣接しており、展望台からは竹田市街が一望できます。
以前は木々が鬱蒼と生い茂り入りづらい雰囲気でしたが、今回来た時には整備されており利用しやすくなっていました。
新しくできた歴史文化会館とセットで訪れました。
見晴らしの良い縁側や豊後南画が印象的でした。
展望台からは竹田の城下町が一望できます。
昔の建物を大切に保存してあります関係者の方の努力に頭が下がります。
竹田の本物はないですよ。
懐かし感じの処でした。
殿町武家屋敷よりすぐの高台にある田能村竹田のアトリエです、1777年藩医の次男に生まれ詩画を好んで各地を巡り1835年に59歳で死去しました、1 818年には頼山陽も訪れ宿泊しています。
名前 |
旧竹田荘 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0974-63-9699 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
「竹田荘」は田能村竹田(たのむらちくでん)の住居跡で国指定史跡。
竹田は江戸後期を代表する南画家で、岡藩お抱えの医師の家に生まれました。
藩の儒医(儒学者で医者)ですから一応は武士ですが、家禄は12人扶持で江戸後期の下級武士の困窮を絵に描いたような生活だったでしょう。
途中で医師を辞めて、学問と画技を磨くことに専念してますから、芸が身を助けたのかもしれません。
竹田の作品は大分市美術館と出光美術館が大量にコレクションしています。
質では大分、量では出光というところでしょうか。
大分市美術館にも寄りたかったのですが、今回は時間がなくて断念。