とても丁寧なご説明と気持ちに寄り添う接し方に感謝致...
下関市役所の食堂に行ったことないので、行ってみたいです。
食堂は職員専用ですか?。
メニューはどんなものがありますか。
建物自体が広くよく迷ってます…。
案内板は色んな所にあるのでそれを見ながら進みます。
駐車場は立体駐車場です。
唐戸のバス停からも近いのでアクセスいいです。
用事がある時に行きますが、何課に行けばいいか分からず迷っていると、職員さんから声を掛けて下さり案内してくれました。
ベテランさんともなると仕事の手際がいいです。
皆さん親切だと思います。
生活の事で相談に行ったことがあります。
長い事話を聞いてくれて、親身に相談に乗ってくれ、どうしたらいいかを教えてくれました。
そのお陰で今の生活が出来てます。
これからもお世話になりますが、ありがとうございます。
担当者は丁寧な対応です。
ただ、欲しい内容の書類が正しいく請求出来ているのか、事前に確認出来ない😱身分証明まで提出したのに、請求書類を印刷前にPC画面で確認出来れば、間違いのない書類作成になると思いました。
新しくなった下関市役所。
以前に比べ明るく広々とし、各コーナーもわかりやすく、さらに駐車場も広くなり、利用する市民としては有難い限りです。
ただ1つ注意が必要なのは駐車場の入口が以前と違うので要注意。
看板をよく見て進みましょう。
総合案内から窓口へ❗どちらの窓口でも とても親切に詳しく教えていただきました。
保険年金課の担当して下さった女性の方、とても丁寧なご説明と気持ちに寄り添う接し方に感謝致しました。
このような親切な方が他の課にもいらっしゃると良いなと思います。
下関市内に不動産の購入を思い立ち、下関市役所を訪ねました。
ネットで閲覧できるものと一緒とは想像したのですが、ネットのハザードマップは見にくくて、実用性に欠けます。
防災関連の担当者をは大変親切で、希望の地域のマップを抽出して頂き、持って帰りました。
しかし、※活断層の併載したものは無い。
※活断層の掲載はWebのみ。
※道路と河川を管理する別の部署が、異種の水災害資料を管理している。
以上の説明を頂戴し、ハザードマップの不備を市の職員として把握されていることもしれました。
改良は意識されているようなので、今後に期待します。
新しく建て直しも完了し、綺麗になったのですが、立体駐車場の入り口が、分かりにくく、間違え易く、入り口も、車1台が入れるスペースで、直ぐ隣には、侵入禁止の出口が有り、私も、間違えそうになりましたが、他の利用者も、出口専門のゲートに来たり、入り口を行き過ぎ、バックしたりと、間違えていました。
若い人は、何も感じないかもしれませんが、ある程度の歳になると、以前のイメージが強くて、直ぐには、対応出来ません。
もう少し、年配者への配慮が欲しかったです。
建物は立派!!肝心の働いてる人は。
隣の政令指定都市の北九州市役所は軽自動車の納税証明書出すのに2分~5分下関市役所は5分~20分利用者側に立たない古臭い体質の典型的な役所仕事。
糖尿病のパネルをもうけていて、つい立ち止まって見てしまいました。
椅子とテーブルがラウンジにあるので、電話がかかってきたとき、座ってメモをしながら電話が出来ました。
市役所とは思えない素敵な空間です。
説明も丁寧で親切、頼れる人ばかりでした。
人口考えたら、この市役所は箱が大きすぎる。
立体駐車場の作り方、入口と出口が逆じゃないと、うまく流れないと思います。
せっかくお金をかけたのに何故こんな事になったのでしょうか?
目的の場所がわかり辛い。
案内板をもう少し工夫したら良いかも。
市役所では僕達を「お客様」と呼んでくれる。
でも笑顔がなく、紋切り型の会話でイラつく方もいます。
お客様と呼ばれなくてもよいので、笑顔が欲しい。
素敵だったのは、健康保険とマイナンバーカードの係の人達です。
丁寧で笑顔で、凄く感じ良くて嬉しい💐
夜間の対応がとてもスムーズで良かったです。
全体がとても質が良いと思います。
昔と比べたらだいぶ職員の人らの態度良くなった気がします昔は印鑑忘れたら書類の手続きできなくて取りに帰らないと受け付けないよ!という態度でした。
今は…印鑑忘れて書類書くのムリかと思ったら拇印で構いませんよと言ってくれて「お手を汚してしまい申し訳ありませんね?」とも言ってくれるし(自分が忘れたからいけんのに)ティッシュまでくれました。
税務科の職員のお兄さんと就学援助の受付の担当してくれたお兄さんらです。
市民サービス科のお姉さんらも優しい人多かったです。
ついでに駐車場も大きくなったから道路の渋滞もなくなりました。
赤間関(あかまがせき)と下関下関の地名で、忘れてならないものに、「赤間関」があります。
「赤間関」は、明治22年4月1日に全国で市制が施行され、31の市がはじめてできたとき、その一つ「赤間関市(あかまがせきし)」として、市の名称につかわれました。
また、赤間関は、「赤馬関」とつかわれたり、「馬関」と呼ばれたこともありました。
現在のように「下関市」と呼ばれるようになったのは、13年後の明治35年に、市の名称を近代的なものにしようと、変更したものです。
「赤間関」の「関」は、水陸の交通の要所に、軍事や警察上の目的をもって設けられた施設で、全国的には大化改新ころから整備されています。
本州最西端に位置し、九州と、さらに大陸とも近い下関の地に「関」があったことは、当然のことといえます。
「下関の地名」下関市教育委員会刊行より------「赤間」の由来赤間(あかま)の語源は、紅石山(赤間神宮の裏山)に大きな馬の形をした紅色の岩石があったことから、また、船の中にたまる水を「アカ」ということからなど諸説がありますが、平成4年に発刊された『下関市史・民俗編』に、「赤間関の地名の由来」という項があり、「赤間」の由来が記述されています。
この項目は、監修者で全国的に著名な国分直一氏が記述したもので、大要は次のとおりです。
旧暦一月一日、早朝の最干潮のとき、関門海峡の早鞆瀬戸で、下関市の住吉神社と門司区の和布刈神社が、両岸で相対し「和布刈神事」を行います。
この神事は、太古から行われているもので、春に先立ちもえ出るワカメを刈り採って神前に供え、民衆も食べることによって神と一体になるという考え方です。
(海中にあって繁茂するワカメには、神が宿ると伝えられています)関門地域で海とかかわって暮らす人々は、「ワ」を「ア」と発音し、「ワカメ」を「アカメ」と発音するところから、「アカメ」が「アカマ」になったとするものです。
「メ」が「マ」となったのは、「目」の古い形が、「マ」であったからとしています。
現在でも、壇之浦漁業協同組合の皆さんは、この和布刈神事が終わるまで早鞆瀬戸のワカメを刈り採らないという風習を固く守りつづけています。
これも神とのかかわりを感じさせるものです。
「下関の地名」下関市教育委員会刊行より。
----------下関下関も古くから登場していた地名で、文書として確認できるのは、貞観11年9月27日付けの「太政官符」(当時の朝廷の出した文書)です。
「下関権軍毅一人 主帳一人 兵士百人」と記された太政官符の内容は、下関に権軍毅(副大将)を一人、主帳(書記)を一人、兵士百人を配置するというものです。
同じ項目に、豊浦団として、軍毅二人とあり、主帳と兵士の記述部分は欠落していますが、兵士は四百人であろうとされています。
この文書は、大陸からの外敵襲来に備えて、軍備を整えた様子を記したもので、長府(豊浦)に本隊があり、下関にその分隊を置き、その規模を示しています。
長府には四倍の兵力が置かれていたことになります。
「下関」は「上関」に対しての言葉と思われます。
上関は、山口県の東部にあり、瀬戸内海の重要な交通拠点に位置しています。
下関に比べ、京都に近いことから「上」の名がつけられたものでしょう。
「下関」は、近代になって登場した地名のように思われがちですが、古くからあった地名ということがわかります。
「下関の地名」下関市教育委員会刊行より注意: 豊浦団は、瀬戸内海にある長府(豊浦)ではなく、響灘に面した安岡漁港あたりと下関の伊崎か海士郷あたりにあったと思われる。
ちなみに、豊北町の浜出祭が元寇などの夷狄の再来に備えて始められたとされる。
------山口県の難読地名より下関市 内日上 うついかみ下関市 内日下 うついしも下関市 春日町 かすがちょう下関市 藤附町 ふじつくちょう下関市 豊前田町 ぶぜんだちょう下関市 六連島 むつれじま下関市 吉田地方 よしだじかた下関市 吉母 よしも下関市 阿内 おうち下関市 員光 かじみつ下関市 蒲生野 かもうの下関市 岬之町 はなのちょう下関市 特牛 こっとい下関市 南部町 なべちょう下関市 蓋井島 ふたおいじま下関市 貴飯 きば下関市 楢崎 ならざき下関市 樅ノ木 もみのき下関市 手洗 たらい下関市 楢原 ならはら下関市 轡井 くつわい下関市 杢路子 むくろうじ下関市 八道 やじ下関市 田耕 たすき-------城山の北側の田中川辺りに、下関米取引所があった。
食堂のクジラかつ丼が、臭うが安くてうまかったよ。
大きな駐車場が出来てやっと使いやすくなった。
新館も稼働し手続きもスムースに進みます。
職員の接客態度が格段に向上したのは評価に値します。
名前 |
下関市役所 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
083-231-1111 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金] 8:30~17:15 [土日] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
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職員さんの対応が優しかったです。
建物もとてもキレイでした。