武田と上杉の戦場へ、幻想的な眺望が待つ。
旭山城跡の特徴
旭山城跡は上杉と武田の歴史が詰まった大規模な山城です。
雄大な堀切や竪堀が見応え抜群で、戦国時代の遺構を感じられます。
標高785mの場所から川中島を一望できる絶景スポットです。
旭山の山頂です。
登山口から20分ほどで登れます。
城跡といっても特に痕跡らしきものはなく、眺望もありません。
ただベンチに座ってると鳥の鳴き声に癒されます。
上杉と武田がせめぎ合っての歴史を残す山城堀切が大きく見応えあり眺めもかなり良く、川中島・善光寺平を睥睨するには確かに必要となるのでここでの争いは必然どうでもいいことですが、今でこそ車で近くまで行けるけど、当時はとにかく麓から登らねばならないのでその労力には敬服いたし候m(_ _)m
日の出を見ようかと薄暗いうちから登ったら雪雲に覆われてた🌨️それが幻想的な戦国遺構の雰囲気を醸し出して素晴らしい👍️堀切♬竪堀♬畝状竪堀♬切岸♬土塁♬段郭♬石積♬崩れ石塁♬と さすがに武田VS上杉の争奪戦の山城だけあって見ごたえタッッップリ 🙌朝8時すぎに街並みが見え始めた頃の川中島の眺めも良かった👌標高785m、観世音堂🅿️の標高615m
旭山城跡形態:山城(783m/90m)別名:なし文化財指定:不明遺構:石垣,土塁,郭,堀城主:武田氏→上杉氏歴史:築城年代は定かではない。
史料による初見は天文24年(1555年)で、武田信玄が善光寺の別当栗田鶴寿を味方に引き入れると、上杉謙信が葛山城を拠点とし、信玄は旭山城に兵三千と弓八百張、鉄砲三百挺を送り込んで対応した。
このときは長期戦となり、今川義元の仲介により和睦、その条件として旭山城の破却が盛り込まれていた。
弘治3年(1557年)武田信玄は葛山城を急襲して攻め落とすと、今度は上杉謙信が旭山城を修築して拠点とし武田氏と対峙した。
永禄4年(1561年)の川中島合戦の後、上杉方の守将小柴見宮内を討った武田氏が旭山城を占拠した。
その後は海津城や長沼城が重要拠点となっていった。
説明:旭山城は標高785mの旭山山頂に築かれており、葛山城とは裾花川を挟んで対峙している。
主郭は山頂にあって方形で土塁が周囲を巡っている。
主郭の北東側は深い堀切によって断ち切られ、その外に小郭を挟んでもう一条の堀切が北尾根に残る。
主郭から東へ伸びた尾根には堀切を挟んで東西に長い曲輪があり、その先も堀切と削平地が続き、先端に展望台となった曲輪がある。
旭山城は全体的に石積がされていたようで、その残骸が至る所に残っている。
状態の良い石積は本丸の西側の南斜面辺りで、竪堀付近や南側の帯曲輪、横堀の所が良く残っている。
案内:旭山の南側中腹にある朝日山観世音堂を目指す。
観世音堂の駐車場からそのまま車道を歩いて行くと、しばらくして林道朝日山線入口の看板がある。
この林道は直ぐに行き止まりとなるが、この終点から登山道が付いている。
大木に囲まれた城址からの眼下の景色は望めませんが、木陰に囲まれ、木製ベンチもいくつかあるので、長く休憩できます。
旭山観音堂前に数台の駐車場があり、そこからは、里山の風景を楽しみながら30分程度で到着。
初心者向けの山歩きです。
途中、西洋タンポポに侵略されながらも、健気に花を開いている日本タンポポが道道や城址広場に見えて元気を貰えます。
散歩に丁度良い感じの山です。
城跡は地形だけですが、楡科の春楡、秋楡、榎の巨木が有りました。
周りは主にミズナラの林で、紅葉も終わりでした。
展望台の展望はすばらしいです。
今日は冬並みの寒さでした。
比較的行きやすい割に見晴らしはとても良い。
名前 |
旭山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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なかなか大規模な山城で見応えあり!