行ったのは3年は前ですが、境内に乗り入れて大丈夫と...
八坂神社(小倉祇園) / / / .
小倉城の城内にあります。
京都の八坂神社の分社でしょう。
細川忠興が、勧奨したようです。
細川と言えば、京都に縁のある大名です。
だから、八坂神社なのでしょう。
博多の櫛田神社の祇園祭は有名です。
しかし、多分、小倉も負けていないでしょう。
小倉は、気性が激しいと、聞いています。
八坂神社は、内堀と外堀の間にあります。
とても静かで、お詣りに相応しい所にあります。
御朱印を頂きました。
神社の境内には、おとなしい茶トラ猫がいます。
誰でも撫でることができる。
「八坂神社」や「小倉祇園」と呼ばれている、小倉城内にある神社です。
楼門には「豊前総鎮守」と書かれた額が掲げられています。
元和3年(1617年)の創建当時は小倉祇園社感応院と呼ばれ、明治になって祇園社から八坂神社へと名前が変わったそうです。
昭和9年(1934年)に現在の小倉城内に城下の鋳物師町から遷座しています。
祇園さま(スサノオノミコト)は九世紀頃には、既にここ、小倉の地に祀られておりました。
元和三年(1617年)に丹後国(現在の京都府)から小倉の地に移ってきた細川忠興公が、改めて祇園社(のちの八坂神社)の社殿を 小倉・鋳物師町に創建しました。
✱細川忠興公が小倉に来た理由慶長五年(1600年)の関が原の戦いで東軍に参加し、その戦功を評価され、徳川家康公より豊前小倉藩39万9000石を付与されたのです。
✱忠興公が祇園社(のちの八坂神社)を建て直したきっかけある日、城外に鷹狩りに出かけた忠興公は、小さな社を見つけ、祠の中にある御神体を覗き見ようとしました。
杖でこじ開けようとしたところ、中から一羽の鷹が飛び出し、忠興公の目を蹴ったのです。
失明同然になった忠興公は、神様に対して非礼を働いた神罰だと深く反省し、荘厳な社殿を建立したのでした。
これによって忠興公の目も快癒したと伝えられています。
以後、八坂神社は変わることなく小倉城下の人々の信仰を集めてきました。
明治になり、祇園社から八坂神社へと名前が変わり、昭和九年に現在の小倉城内にご遷座されています。
私の場合、どこの神社に行ってもそうだけど、お御籤をしたくなりますね。
お御籤もあり、手を清め洗う場が自動で、直接に他人が手で触れないから清潔感はありました。
ここは、小倉藩主細川忠興が1617年元和3年に城の守護神並び、豊前国の総鎮守として創建しました。
毎年7月の第3土曜日を挟んだ前後の3日間に、小倉祇園祭が行われるのだそうです。
その時に、小倉祇園太鼓が打ち鳴らされます。
江戸時代は山鉾や山車等を出してたみたいですが、明治時代以降は、囃子(はやし)が主となり、今日の太鼓中心の祇園祭になりました。
私は、小倉祇園祭を観た事が無く、一体、どんな感じなのかは分かりませんけど、祭の間も活気があって良いですね。
お城に隣接された神社です。
鳥居と山門がどちらもある、神仏習合の寺社です。
中には撮影所もあり、七五三の時は凄く便利だと思います。
実際、多くの七五三の家族が来ていました。
御朱印は書き置きではなく、実際に記載してくれます。
参道入り口が有名なフォトスポットとなっており、鳥居とお城を同時に撮影できます。
小倉城に隣接する神社。
小倉城見学の時に立ち寄って参拝しました。
神社の参拝は訪問する場所各地で必ず行くようにしています。
伺ったときが悪かった。
北九州市議選挙の時期で境内に車は多いは、立候補者が演説しているはで、風情なく、まったく興ざめ。
小倉城内に鎮座する神社です。
思ったより狭い境内でしたが、色んな末社が境内に有ります。
楼門が大きくて立派です。
自宅から一番近い神社。
今日は正月飾りを納めに来ました。
降りしきる雪の中、参拝するのは正月参りらしく趣があります。
リバーウォークから入ると橋を渡り境内はすぐ。
昔は玉屋百貨店の横が参道で鳥居があったはず。
元々、鋳物師街にあった神社が戦前に小倉城の北の丸へ移転したのです。
祀られているのは祇園社なのでスサノオです。
小倉祇園祭ゆかりの神社です。
末社には本殿の裏手に神明神社やお稲荷様(奈良時代からこの地にあったらしい)などが、ひっそり建っています。
紫川側の鳥居の所に馬頭観音も祀られています。
小倉市民が身近にお参りできる神社です。
小倉城見学の折りにお参りさせてもらいした。
境内はそんなに広くないし、急な階段も無いので気軽に参拝できました。
御朱印も頂きました。
コロナ禍ということで書き置きも覚悟してたのですが手書きで授与頂きました!
小倉城の麓、リバーウォークの隣にある神社、八坂神社です。
主祭神は須佐之男命で、御神徳は多岐に渡り、人が想像する願い事のほとんどが対象になると思えるほど。
調子に乗ってたくさんの願い事をしました。
リバーウォーク側に立派は鳥居があり、それをくぐって右側に拝殿があります。
御朱印も500円でもらえます。
小倉城のお堀の内側に神社があり、城と密接な関係があったのだろうと容易に想像できます。
小倉城と八坂神社をセットで観光するのが良いでしょう。
古くは「こくらのぎおんさん」と呼ばれていた。
阪東妻三郎(1943年版)や三船敏郎(1958年版)らが主演した映画『無法松の一生』に登場する小倉祇園太鼓はこの神社の例大祭である。
祭は1618年(元和4年)にはじまり、約390年の歴史を有する。
現在は、毎年7月の第3土曜日・日曜日に開催されている。
なおこの神社は、北九州市およびその周辺地域において、もっとも多くの参拝客でにぎわう神社である。
もともと「祇園社」と呼ばれていたが、1868年(慶応4年)の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、「八坂神社」に改められた。
現在は神社本庁に属さない単立神社である。
年表t編集870年(貞観12年)4月 - 疫病が流行したため、山城国八坂郷の祇園社を長尾(現小倉南区長尾周辺)に勧請し、企救郡の総鎮守とする。
1602年(慶長7年) - 細川忠興が小倉城築城開始。
1617年(元和3年) - 小倉藩の総鎮守として城北の清地鋳物師町に南殿北殿のある祇園社(現:八坂神社)を建てる。
南殿には長尾の祇園社を移し、北殿には三本松(現旦過市場周辺)の祇園社を移した。
なお、長尾の祇園社は現在も鎮座している。
1618年(元和4年) - 京都出身の細川忠興により、京都の祇園祭を取り入れ、小倉祇園がはじめられた。
元々は京都祇園祭が原型の、飾り付けをした山車が用いられていた。
1873年(明治6年)5月15日、県社に列せられる。
1943年(昭和18年)10月28日 - 岩下俊作原作の小説『富島松五郎伝』が、映画『無法松の一生』として公開され、小倉祇園太鼓が全国的に知られるようになった。
1958年(昭和33年)4月3日 - 小倉祇園太鼓が福岡県指定無形民俗文化財に指定。
1987年(昭和62年) - 小倉祇園太鼓が現行の開催日程に変更された。
小倉城主の細川忠興が元和3年(1617)に祇園社を鋳物師町に祀った。
明治時代に、八坂神社と改名し昭和8年(1933)に小倉城内の現在地に移設された。
忠興の眼病平癒祈願の石造燈籠や鳥居は県指定文化財。
街のど真ん中に在るのに 静かで清掃も行き届き 写真映えするポイントも多い。
特にお堀から天守を観る構図は 絵はがきになる美しさ。
とても歴史ある神社でした。
小倉城の中にありお城とのコラボが最高にいい神社だと思います!
この八坂神社には、離れた場所に元宮があるそうです。
北九州市小倉南区長尾1-8にある八坂神社がそのようです。
歴史を調べると「870年(貞観12年)4月 - 疫病が流行したため、山城国八坂郷の祇園社を長尾(現小倉南区長尾周辺)に勧請し、企救郡の総鎮守とした」とのことです。
由緒正しい神社だそうです。
しかし、宮司はいません。
無人です。
よって、御朱印もありませんよ。
でも、一度参拝してみてはどうでしょうか。
行ったのは3年は前ですが、境内に乗り入れて大丈夫と知らずに近くの駐車場に停めてしまいました。
小倉城内に位置していて、北九州方面を代表する神社だけあり、楼門から素晴らしい。
神社の奥から歩いて小倉城を撮りに行きました。
御朱印戴きました。
楼門の写真はちょっと珍しい写真が撮れました。
リバーウォークの道向かい。
歩いてすぐです。
平日はわかりませんが、週末は何人も神社の方がおられるので、御朱印の受付もスムーズです。
境内からお城の方へ抜ける事ができます。
いったん外に出るより、近いと思います。
『御創建四百年記念例大祭』が平成二十九年七月十三日~十六日におこなわれたそうです。
後日の参拝になりました…。
記念例大祭の年にお参りできてよかったです。
休日の午前中に行きました人も少なく静かなところでした。
御朱印帳をつけてもらいに行きましたとても対応が良く気持ちよくお参りもできました。
御朱印帳をもらう時にようこそと言われたのがとても嬉しかったです。
また来たいと思いました。
小倉城に訪れた際に、八坂神社にも訪れてみましたが、とても大きく立派な木造の門がありました。
八坂神社で御朱印をいただきました。
御創造400年を記念して、御朱印に緑色の印を押してもらいました。
御朱印帳は販売されていました。
御朱印を書く方によって、小倉ぎおん、小倉祇園と分かれます。
千歳飴を売ってくれました。
周辺の歩道も小倉なだけあって、整備されています。
リバーウォークとの間に池があって鯉や鳩もたくさんいるので、お子さんと一緒に訪れてもよいと思います。
名前 |
八坂神社(小倉祇園) |
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ジャンル |
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電話番号 |
093-561-0753 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
境内はどこも綺麗に管理されていてとても気持ちが健やかになります。
拝殿はもちろん立派ですが社務所がとても立派で驚きました。
猫さんは人に撫でられたくて人がたくさん居るところに出てくるらしいです。
とても大人しく可愛かったです。