本当に地域に根ざした良い神社です。
咳を鎮める神様がいます石段は170段くらい有り、なかなか キツイです。
階段登るのがきついぜ。
周囲からの眺めはよし。
駐車場までの道が分かりづらく道もギリギリなガードレールのない道を登ります駐車場は普通車も停まっていたのですが慣れないと怖いです境内の社務所は無人でシャッターが閉まっており境内は何だか寂しいですが逆にパワーを感じることができる雰囲気です御朱印は鳥居横の住居兼社務所でお願いできます。
旧県社。
小高い境内の頂上にとても立派な社殿が建立されています。
地域に根付いた氏神様で、心の拠り所になっているのがよく分かります。
日曜日は神職さんがいらっしゃるので、各種ご祈願や、御朱印も対応して頂けるようです。
鳥居の風格がいいです。
神社の左手に中臣様という咳どめに効験がある神様がまつられています。
このご時世なので、しっかりおまいりしてきました。
咳取(=関取)の御守りがとてもかわいくて、ご利益がありそうです。
My 神社枝光八幡宮 小さな 神社の中でも評価高めの 星3つ。
179段の直登がやみつき読みにくい 大理石の碑文を完コピしました‼️(向かって左側の末社)この地に官営八幡製鐵所の建設が定められたのは 明治三十年の頃である当初 製鐵用地の大部分は 枝光の地域にあり、その際 先祖伝来の土地 二万余坪を進んで政府に献納し、或は潔く低廉の買収に応じて 建設の基盤を 供したのは、実にこの地 芳賀種義氏ほか 百有余名 村民有志の、国家緊要の事業に対する 報国の 赤心の願いであったと云わねばならない当時枝光の西北部、 遥かに洞海の青波の寄するところに、そのかみ 民草の安穏を祈りて 中臣神社及び厳島神社 豊日別神社の三宮が 祭られてあったが 、製鉄所の建設に伴い 是等みやしろを 枝光八幡宮の境内に 遷宮し、爾来ここに 星霜の移ること五十年、 偶々昭和二十年八月八日の 空襲の戦禍を蒙るなど 風雪の中に神社はいたく神寂れ給うてあった然るにこの国に明るい平和が蘇り、鐵都また繁栄の気に満つるの秋、 いま新しく 千木高かりて 中臣神社の再建が成り、 厳島豊日別の神神をも 合祀し奉る、誰れか崇信の念と故旧の情に堪えざらん即ちこの機に 製鉄所創業時に尽くされた 郷土の人の功績をたずね、その徳行を永く後代に遺さんがため、茲にその名を録して 碑文を草する次第である昭和三十三年四月 八幡製鐵所所長 角野尚徳 (*_*;( 向かって右側の末社)貴船神社御祭神 高オカミノ神 大歳神御由緒 麻生氏により宇中名に鎮祭され 明治三十九年 製鐵所事業拡張のため 熊本山(高炉台公園)に 奉遷、 戦火により社殿を喪失 昭和五十一年二月この地に 奉遷さる。
令和元年5月5日参拝御朱印あり(社務所にて授与)祭神:神功皇后、応神天皇、比売大神、武御名方命、須佐之男命、高靇神旧社格:県社健久五年(1194年)に創建された神社。
枝光の名前の由来は神功皇后、三韓征伐の折、この地に立ち寄られ時の県主熊鰐が真榊の枝に鏡、劍、勾玉の三つの宝を掛けられてお迎えになられたことから枝三つが枝光になったとされる。
枝光の地名に関わる仲哀天皇と神功皇后の伝承が残り、八幡の地名の元になった神社です。
大蔵側から住宅地の間の急な坂道を登って参拝。
表参道にかかる木々の緑が良い感じです。
感じの良いところですごく生気を感じられます。
自分が弱ってるときなんかにぼーっと過ごすには良さそうなところです。
あと咳の神様がいました。
由緒書きが有ったんですが、イマイチ良く判らなかったです。
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地域の相撲大会などもあり、本当に地域に根ざした良い神社です。
名前 |
枝光八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
093-661-4491 |
住所 |
〒805-0006 福岡県北九州市八幡東区諏訪2丁目1−14 |
評価 |
4.2 |
神聖な雰囲気の神社です。
駐車場の場所が分かりづらくかなり細い道名の電車大きい車だときついかもしれません。
御朱印の御初穂料はお気持ちでと言われました。