神功皇后伝承地 大倉彦神の治めていた大蔵谷で御旗竿...
2024年5月参拝大蔵小の裏手…山側に 鎮座しています❗⛩️から参道を進むと、 鬱蒼と 緑に囲まれたお社こちら、神功皇后が 洗浄と必勝を祈願した清水があります…が 水は、もう ほとんど ありませんでしたその近くに、苔むした 木が斜めに …静寂に 包まれた 雰囲気のお社✨御朱印を戴きに来ました❗こちらは、仲宿八幡宮さま 兼務社そちらで、書いて下さいます駐車場は、ありません。
歴史を感じる神社です。
大蔵小学校裏にある神社です。
ホームページより引用⬇︎御祭神は、大倉彦神(地主神)タケミカヅチ(神武天皇東征を助けた武人・鹿島神功、春日大社)フツヌシの神(葦原の国を平定した刀剣の神・香取神宮、春日大社)大山津見神(山を司る神)です。
神功皇后さまが、洞海湾にて船団をつくり、朝鮮へ出兵の折、勝田神社の御祭神である大倉彦神が治めていたこの地大蔵の山より皇軍の御旗竿を伐り出しました。
帰朝後、皇軍に勝利を得給う故にこの山を勝山と名づけ、神功皇后さまみづからお祭りをされ、以後、筑前藩黒田守政公は、このゆかりの『勝山』の名をめでて、藩旗の旗竿とされ、代々の殿様の信仰あつく、縁起のよい勝運・開運のお神様として広く信仰されています。
学校の真裏に成ります。
無人の神社に成ります。
境内にアスファルトを敷いてあります。
御由緒およそ1700年昔、神功皇后朝鮮出兵の折、洞海湾にて船団をつくり「大蔵」の地名の由来と言われる大蔵彦神の治めていたこの大蔵谷より皇軍の御旗竿として竹を伐りだした。
〝めてたい〟緑で帰朝後〝勝山〟と名づけ神功皇后みずから御社をまつられたと云われ、筑前藩主黒田守政公はこの勝山の名をめで藩旗の旗竿とされ代々の殿様の信仰あつく祭礼の折、特に芝居や踊りの興行が許され、大蔵谷にとどまらず広く信仰され、宝暦年中(西暦1751年)には江戸幕府より「神社帳」に書き出すように幕命をうけ、また安永七年(1779年)御社殿建立の折、布目のついた古瓦が出たことが記録に残されています。
その勝山のいわれによって勝運、武勇、開運の神様として信仰されています。
(境内案内板より)
綺麗な水が流れていました静かな神社です狭い路地のため駐車スペースがなく路肩に停めて、慌てて参拝しました。
ここは昔よく遊んだ所今は行事以外寄りつかない寂しい。
神功皇后の伝承が残る神社。
この一帯は伝承が濃厚に残っていて、神功皇后に協力した人々の記憶が伝承の形で伝わっていることを感じます。
神功皇后伝承地大倉彦神の治めていた大蔵谷で御旗竿として竹を刈り出した。
征伐後も立ち寄り皇后は社を建てこの山を勝山と名付けた。
御祭神大山津見神・武御雷神・賦都主神皿倉山を水源し日明へと流れ込む板櫃川沿いには他に皇子に乳を飲ませた乳山八幡神社、御船が津に至った到津八幡神社と足跡・地名が残る。
大蔵小の裏手に鎮座。
柏手を打つと竹林に響きわたる心地よい社である。
名前 |
勝田神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.1 |
八幡東区勝山にあります。
入口は大蔵小学校の裏手です。
お社までは20段弱の階段があります。
脇道はありません。
お社の正面に向かって右側に石碑がありました。
地元の方のお話では、后(きさい)の清水の場所は、以前は小さなお社で守られていたそうです。
后の清水の裏手には竹林がありました。
神功皇后や黒田藩の方々は、ここで竹を採っていたんでしょうか。
由緒書は参道入口にあります。
ー駐車場無しートイレ無し。