神功皇后の伝承が残る神社。
学校の真裏に成ります。
無人の神社に成ります。
境内にアスファルトを敷いてあります。
御由緒およそ1700年昔、神功皇后朝鮮出兵の折、洞海湾にて船団をつくり「大蔵」の地名の由来と言われる大蔵彦神の治めていたこの大蔵谷より皇軍の御旗竿として竹を伐りだした。
〝めてたい〟緑で帰朝後〝勝山〟と名づけ神功皇后みずから御社をまつられたと云われ、筑前藩主黒田守政公はこの勝山の名をめで藩旗の旗竿とされ代々の殿様の信仰あつく祭礼の折、特に芝居や踊りの興行が許され、大蔵谷にとどまらず広く信仰され、宝暦年中(西暦1751年)には江戸幕府より「神社帳」に書き出すように幕命をうけ、また安永七年(1779年)御社殿建立の折、布目のついた古瓦が出たことが記録に残されています。
その勝山のいわれによって勝運、武勇、開運の神様として信仰されています。
(境内案内板より)
綺麗な水が流れていました静かな神社です狭い路地のため駐車スペースがなく路肩に停めて、慌てて参拝しました。
ここは昔よく遊んだ所今は行事以外寄りつかない寂しい。
神功皇后の伝承が残る神社。
この一帯は伝承が濃厚に残っていて、神功皇后に協力した人々の記憶が伝承の形で伝わっていることを感じます。
神功皇后伝承地大倉彦神の治めていた大蔵谷で御旗竿として竹を刈り出した。
征伐後も立ち寄り皇后は社を建てこの山を勝山と名付けた。
御祭神大山津見神・武御雷神・賦都主神皿倉山を水源し日明へと流れ込む板櫃川沿いには他に皇子に乳を飲ませた乳山八幡神社、御船が津に至った到津八幡神社と足跡・地名が残る。
大蔵小の裏手に鎮座。
柏手を打つと竹林に響きわたる心地よい社である。
名前 |
勝田神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
歴史を感じる神社です。