那須疎水の開通に尽力し那須野が原の開拓に貢献した地元の名士、印南丈作の墓所を中心に、印南と並び称される矢板武(分骨)ら那須開墾社関係者合計5名の墓が並びます。
彼らが成し遂げた開拓事業の成果である田園を見下ろす小高い丘、といった趣向なのでしょう。
那須塩原市指定文化財(史跡)との解説版があります。
いざ丘に登ってみると、冬でも常緑樹が生い茂っていて眺めはそれほどでも……という感じなのですけれど、郷土史に興味がある人にとっては、印南・矢板両氏を祭っている三区町の烏森神社共々、巡礼しておきたい場所かも知れません。
名前 |
常盤ヶ丘 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
那須塩原市の広報では常盤ヶ丘は標高248.5メートルの丘で、中腹には那須野ヶ原開拓の恩人である印南丈作(いんなみじょうさく)(那須開墾社社長)・矢板武(やいたたけし)(同・分骨)、それに安藤治輔(あんどうじすけ)(那須開墾社社員)・品川貞之進(しながわさだのしん)(同、後に西那須野村長)・印南トメ(印南丈作夫人)の5人の墓がある。
かつてこの一帯は、那須西原と呼ばれる広大な原っぱであったが、その中にあってこの丘は松の緑におおわれていた。
印南丈作はこの地を深く愛し、本人の生前の希望により、死後この地に葬(ほうむ)られた。
その後、印南丈作と深いかかわりのある前述の4人が、そのかたわらに葬られた。
印南丈作死後30年を経た大正7年(1918)、印南丈作に国から従五位(じゅごい)の位階(いかい)が贈られた。
大正9年(1920)になって、西那須野村ではこれを記念して墓地のすぐ上の所に「贈従五位の碑」を建立した。
一般には従五位の碑と呼ばれる。
毎年4月7日には、墓前祭が行われている。