別名会所宮(よそみや)といいます。
久津媛神社(日田の守り神) / / / .
別名会所宮(よそみや)といいます。
ご祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、景行天皇、久津媛神、大己貴命の六柱です。
もともと会所山の山頂にあった久津媛神社に景行天皇と共に祀られていたものをやまの中腹に新たに社を建て合祀したもので、1909年山麓の現在の場所に移し会所宮を建てました。
景行天皇が熊襲征伐の帰りにこの地に立ち寄り、ヒサツヒメと名のる神が人に姿を変え出迎え、郡内の様子を話したと、伝えられています。
これが日田の地名の由来とされます。
また大和朝廷から日田国造に任ぜられた鳥羽宿禰が、庁を設けて居住した場所で会所宮との名前がついたといわれています。
山頂には、鳥羽塚といわれる古墳や甕棺等が見つかっています。
久津媛神社御祭神久津媛神(比佐津媛神)大足彦忍代別命(景行天皇)「~風の宿り~ ブログ」他よりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー会所山(よそやま)会所山は日田東部の丘陵が盆地に突き出た、半島のような地形の尖端にある。
国見には良い場所であり、日田の古代を育んだ土地である。
いまヨソの山と読んでいるが、むかしはエソと言っていたらしい。
むかし日田郡最初の国造鳥羽宿祢の館が在り、神功皇后三韓征行の時ここに将兵を集えて軍議を催した。
ゆえに会所の宮と称えるという説話がある。
山麓の会所八幡宮には八幡三神のほか、景行天皇および天皇を日田に迎えた土地神久津媛を祀る。
また諸もろの神の社祠も多いが、ほとんど荒廃あるいは合祀されている。
周辺には古代遺跡が散在し、鳥羽宿祢の鳥羽塚をはじめ古墳の数々、住居跡、弥生時代の埋葬地などが確認される。
近年地元の人々を中心に、日田の歴史発生の地として顕彰(けんしょう)が行われている。
碑に言う(まきむくの日代の宮の大すめろぎ 仰がひまつる 恵曽(えそ)の神山 内柴御風)日田市参道掲示案内。
久大線日田駅の東に会所山があり、ほぼ全体が比佐津公園になっている。
のだが、駐車場はなく入口も判り難く、利用は少ないようだ。
比佐津トンネルの上と言えば判るだろうか。
山麓に会所山神社があり、比佐津媛神社の下宮を兼ねていて、そこの鉄塔横から登れる。
階段を上ると開けた場所に出て、藤棚の奥に鳥居。
説明に曰く。
会所山(よそやま)会所山は日田東部の丘陵が盆地に突き出た、半島のような地形の尖端にある。
国見には良い場所であり、日田の古代を育んだ土地である。
今はヨソの山と読んでいるが、むかしはエソと言っていたらしい。
むかしは日田郡最初の国造鳥羽宿禰の館が在り、神功皇后三韓征行の時ここに将兵を集えて軍議を催した。
ゆえに会所の宮と称えるという説話がある。
山麓の会所八幡宮には八幡三神のほか、景行天皇および天皇を日田に迎えた比佐津媛を祀る。
また諸々の神の社祠も多いが、ほとんど荒廃あるいは合祀されている。
周辺には古代遺跡が散在し、鳥羽宿禰の鳥羽塚をはじめ古墳の数々、住居跡、弥生時代の埋葬地などが確認される。
…鳥居の向こう側から車道が来ている。
鳥居を潜り進み、少し上に水道の貯水槽。
戦後間もなくしてタンクを造るときに古墳を壊したとか。
罰当たりな話だが、昭和29年という時期に文化財調査をする余裕はなかったか。
タンク前から右に折れて山道に入り、山登り。
山頂には「景行天皇御遺跡」が立ち、少し奥に鎮まる小社が比佐津媛神社。
豊後國風土記に曰く。
大足彦(景行天皇)、球磨贈於(くまそお)征伐し凱旋の時、筑後國生葉行宮を発ち、此の郡に幸す。
神有り、名は袁久津媛、化はりて人と爲り迎へ参らせり、國の消息を弁ふ。
斯く因みて袁久津媛の郡とす。
今に謂ふ日田郡は訛れるなり。
この伝承は風土記のみ、記紀にない。
「景行天皇御遺跡」は比佐津媛神社ともども、これを記念したものらしい。
日田の始まりの地であるのに、今ではほぼ忘れられた状態、栄枯盛衰は世の習いか。
日田を守る女神様です。
知る人ぞ知る神社です。
日田市の神様である久津姫を祭っている神社です。
豊後国風土記によれば、景行天皇が熊襲征伐の帰りに豊後国日田郡に立ち寄った際、久津姫と名乗る神が人の姿で現れ天皇を迎え、群内の様子を話したという。
これが久津姫の出てくる唯一の記述です。
神社の近くには景行天皇を迎えたという記念の石碑があります。
参道は草が繁茂していて中々行きづらかったりもします。
名前 |
久津媛神社(日田の守り神) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
良い運動でした、神社周辺には環状石も有り古代の🪨歴史を感じます。