当時の学習の様子、生活の様子も説明して下さります。
やはり角度が難しい和 の雰囲気も良く、以外と3人にマッチしてます。
館内で上映されている動画を見て、日田市の歴史に触れることができました。
日田市の豆田町にあります。
私の自宅から車で1時間程。
こんな近くに、こんな偉人がいたとは。
私塾跡ですから、吉田松陰の塾のような物ですが、実家が分限者とのことで、随分立派なものだったようです。
とにかく一度是非訪問されることをお勧めします。
入場無料で、詳しく説明して頂けます。
江戸時代の儒学者,広瀬淡窓が開いた私塾跡です。
江戸時代には現在の敷地よりも広大な敷地だったようですが,現在は講堂が1棟と再建された小屋があるのみです。
敷地内に広瀬淡窓と生涯と咸宜園の教育を説明してくれる博物館が併設されています。
文化庁の認定する日本遺産にも「中世日本の教育遺産群・学ぶ心・礼節の本源」として茨城県水戸市にある水戸藩藩校の旧弘道館や栃木県足利市の足利学校,岡山県備前市の旧閑谷学校などと合わせて登録されています。
訪れた際は係の方が詳しく説明をしてくださいました。
広瀬淡窓の生涯や咸宜園での教育を詳しくダイナミックに話してくださいました。
咸宜園で学んだ人物の活躍が如何に現在の日本の礎となっているのかを学ぶことが出来ました。
咸宜園で行われていた教育方法や内容についても現在の教育と共通する部分もあり,教育関係者はもちろんのこと,家族で子どもを連れて訪れるのもいいのではないかと思いました。
旧弘道館や足利学校ほど訪問する人は多くないかもしれませんが,後生に残したい遺産である事は確かです。
もう少し建物を再現して増やしてほしい。
日本最古の私塾で、水戸弘道館と足利学校と備前閑谷学校と並んで日本四大学校の一つ。
江戸時代最大の私塾だった、儒学者(折衷学者)広瀬淡窓の咸宜園の遺構です。
よく保存されており、説明板も多く分かりやすいです。
屋内に入る事もでき、ここで高野長英や大村益次郎なども学んで居たかと思うと、感慨深いです。
これだけの貴重な遺構なのに、無料で見学できるのは驚きです。
日田駅から徒歩10分以内にあるので、日田を訪れたら必ず寄ると良いと思います。
受付を済ませた後 係の方が建物内で咸宜園についてとても詳しく説明して下さいました。
とてもいい時間を過ごせました。
有難うございました。
2021.3
資料館含めて、無料でした。
日田に来て、初めてこの私塾の偉大さと素晴らしさを知りました。
もっと有名になって良いと思います。
無料で見学出来ますし、ボランティアで案内してくれる人がいて、この人がめちゃくちゃ親切で説明も分かりやすくて良かったです。
有名人を数多く卒塾させている私塾です当時建物も残っていて歴史好きには興味をそそられせます入館料は無料で見学受付をすると職員さん(広瀬淡窓愛が凄いです)が時間が有れば紙芝居風に熱く説明をしてくれましたとても勉強になりました^_^
無料で当時の建物が見学できる上に、当時の学習の様子、生活の様子も説明して下さります。
大変素晴らしい史跡施設です。
2020/10/18来訪。
無料で見学出来ます。
建物の中は見学出来るかどうかは、見学時間が早くて係員がいなくて状況は不明ですので現地で確かめてください。
説明して下さり、とても良くわかりました。
江戸期を代表する私塾、咸宜園。
学校が有名になったきっかけは、詩人として全国に名を馳せた広瀬淡窓の知名度に拠るところが大きいようにも思われる。
とはいえ、三奪法という教育制度は、当時としてはなかなか画期的であった。
隣接する学習施設もたいへん充実していて、見応えがあった。
映像教材もしっかり作り込まれていた。
当時の教育の様子が偲ばれる、たいへん良い施設であった。
咸宜園跡は、日田駅の北西900mほどにあり、江戸時代後期に生まれた儒学者・廣瀬淡窓が豊後・日田に開いた日本最大規模の私塾(学校)の跡です。
江戸時代後期、全国各地に藩校や私塾ができ、教育への関心が高まっていた文化2年(1805年)、豊後・日田の儒学者・瀬淡窓が、長福寺の学寮で開塾しました。
その後、「成章舎」「桂林園(荘)」と場所や名前を変え、文化14年(1817年)、現在地に「咸宜園」を開きました。
「咸く宜し」(ことごとくよろし)とは、すべてのことがよろしいという意味で、淡窓は門下生一人ひとりの意思や個性を尊重する教育理念を塾名に込めました。
淡窓は、身分や階級制度の厳しい時代にあって、入門時に学歴・年齢・身分を問わない「三奪法(さんだつほう)」により、すべての門下生を平等に教育しました。
また、咸宜園には、月の初めに門下生の学力を客観的に評価する「月旦評(げったんひょう)」と呼ばれる制度があり、門下生の成績を公表することで学習意欲を起こさせ、勉学に励ませる効果がありました。
そのほかにも、規則正しい生活を実践させる「規約」や門下生に塾や寮を運営させる「職任」など、門下生の学力を引き上げ、社会性を身につけさせる教育が行われました。
咸宜園は、淡窓没後も廣瀬旭荘や廣瀬青邨などの門下生に引き継がれ、明治30年(1897年)に閉塾するまで、およそ5,000人もの門下生が学んだ最大規模の私塾となりました。
歴代塾主は広瀬淡窓をはじめ、弟の広瀬旭荘や、林外、青邨、貞文等が務めました。
塾出身者には、高野長英や大村益次郎、清浦奎吾、上野彦馬、長三州、横田国臣、松田道之などがいます。
昭和7年、咸宜園跡が国の指定史跡となり、現在、史跡咸宜園跡には、江戸時代に建設された居宅「秋風庵(しゅうふうあん)」や書斎「遠思楼(えんしろう)」が良好に保存され公開されているほか、書蔵庫(明治23年築)や井戸なども見学することができます。
たまたま通りかかって、何の建物?と思いつつ中に入っていくと、スタッフの方が出てこられて10分ほど建物の中で説明をして下さいました。
お話も面白く楽しくどんな場所だったのかを知ることが出来て良かったです。
入場無料です。
受付がもう少し通りに近いところだと入りやすいなぁと感じましたので星4つにしました。
こういう建築物はずっと残してほしいですね。
江戸時代の建物としてはごく普通のものです。
でも、外側の戸をすべて開放していて中に入らなくても外側からすべて見えるようにしているのは、とっても良いことでした。
🌟我が故郷日田市…広瀬淡窓先生の学舎…恥ずかしながら初めて訪れ感動しました。
改めて郷土の偉大な先人で人生の大先輩にほんの少しだけ触れた感じがしました。
江戸後期、国内最大級の私塾跡です。
塾生には高野長英・大村益次郎・上野彦馬等の名がみうけられます。
塾跡は国の史跡になっています。
秋風庵・遠思楼等の建屋が残り、講堂や東塾の跡がわかります。
「教育遺産群」として日本遺産に認定された西日本最大の私塾です。
十人(十代)の塾主に支えられ明治まで90年間続きました。
門下生は五千人を超えます。
あなたの故郷から学びに来ていた方を教育研究センターで調べる事も出来ます。
入館も説明も無料!! 50円で消しゴムはんこ作りや、和綴じ本の制作も出来ます♪
しっかりと整備がされています。
資料館が併設されているので、咸宜園の歴史を学ぶことができます。
日本屈指の私塾で、広瀬淡窓が開きました、門下生には高野長英、大村益次郎、上野彦馬がいます、高野長英は明治維新の時は官軍の総指揮官となり幕府軍を破りました、上野彦馬は学んだ後に長崎に帰り1862年日本で最初の写真館を開きました。
勉学に励んだ昔の空間。
歴史上重要な施設である事は間違いないが、もう少し整備できないものだろうか。
私塾としては日本最大規模だったのでは? ユニークなのはその制度。
天領、代官所のお膝元でありながら、三奪法で『身分・年齢・学歴』を奪いすべて0級からはじめた事。
(代官の干渉もかなり有ったらしい…)ちなみに『咸宜』とは、皆宜しいとか、ことごとく宜しいの意。
最高学位は九級で、毎月の試業により進級が決まる。
近世の学生制度に近い!優秀な人材を多数送り出しました。
きれいに整備されていて、中にも上がって見学できる。
資料館も併設されているし、タイミングが合えば丁寧に説明もしてもらえるし、見応え十分。
建物内でまったりしてたら、係のお爺ちゃんが色々と説明してくれました。
凄く親切で分かりやすかったです。
名前 |
咸宜園跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0973-22-0268 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.city.hita.oita.jp/soshiki/kyoikucho/bunkazaihogoka/kangienkyoiku/kangien/index.html |
評価 |
3.9 |
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