GWです、今日も東京十社めぐりの一社。
東京十社巡拝のスタートとして、最北である此方を選択(特に意味はありませんが)エリアの割りに静かな所にあって、良い雰囲気の神社でした。
鳥居から拝殿までの境内はそれ程広くはないのですが、その割りに駐車場は広かったですね。
(15台分位?)敷地としてはかなり広いのではないかと。
東京転勤で初めての年始ご挨拶🙏地元の習慣で三社参りの一つに参拝しました。
三が日も終わっていて、平日16時頃だったためか参拝者は少なくゆっくりお参りできました。
お守りの種類は思っていたよりは種類多くはなく交通安全や金運、仕事関係が割合多かった印象です。
2022.9.25.参拝王子駅から徒歩。
小山の上に鎮座。
綺羅びやかな神輿が目に飛び込んで来る。
銅屋根の緑と燻した様な色の木作り社殿、柱や幕の白、飾り金具の金と渋い色調の趣ある神社。
書き入れて頂いた御朱印の筆が伸びやかでとても良い。
JR京浜東北線・東京メトロ南北線 王子駅徒歩2分の丘陵、東京都北区王子本町に鎮座する東京八大稲荷の一社『王子神社』さん。
旧称は「王子権現」で、この一帯の「王子」という地名の由来になった神社。
u2061何気に、『東国三十三国稲荷総司』『関東稲荷総司』の重責を担うお稲荷様です。
u2061●社名:王子神社●住所: 東京都北区王子本町一丁目1番12号●造り: 権現造●御祭神:・伊弉諾尊(日本神話中の夫婦の創造神の一柱)・伊弉冉尊(日本神話中の夫婦の創造神の一柱)・天照大御神(三貴神の一柱、伊勢神宮主宰神)・熊野速玉男神(熊野権現、熊野速玉大社主宰神)・事解之男命(熊野神社相殿神)u2061日本神話黄泉の国の段で、黄泉の国から逃げ帰った伊邪那岐神から吐いた唾から、熊野速玉男神が生まれ、掃きはらって生まれたのが、事解之男命。
u2061●由来:・創建年、不詳・康平年間(1058〜1065年)、源義家が奥州征伐のおり、当地で金輪仏頂を修法、凱旋の日に甲冑を奉納した。
・文保年間(1317〜1319年)、豊島氏が社殿再建。
・1322年、神社再興。
・元弘年間(1331〜1334年)、熊野新宮の浜王子より「若一王子宮」を改めて勧請し奉斎、『王子神社』に改称。
・1945年、戦災で社殿を焼失。
・1964年、社殿再建。
・1982年、社殿再建。
u2061●御朱印:・社務所にて初穂料お気持ちにて直書きの御朱印を拝領しました。
・王子神社オリジナル御朱印帳も販売していました。
東京10社の1つ開運除災、子育大願の神社として有名。
こじんまりとして静かで落ち着いた雰囲気の神社です。
御朱印の初穂料は決められていないのでお気持ちでとのことでした。
300〜500円が妥当かと思います。
地域の名前がついている神社ということもありとても立派です。
金色のお神輿が常に展示されていてとても美しく神々しく感じました。
歴史ある神社のため立派な木があり落ち着きます。
元准勅祭社で東京十社めぐりの一つとなっている由緒ある神社です。
また、毛の祖神を祀る毛塚があります。
毛にまつわる悩みに御利益があるとのこと。
参拝者用の駐車場あり。
このお社は、東京十社の1つであり、元准勅祭社であり、御祭神が伊奘諾尊(イザナギノミコト)と伊邪那美尊(イザナミノミコト)を祀っている神社です。
JR王子駅からも近く緑も多いので、参拝するととても素晴らしいのでは、ないでしょうか?御朱印帳には、古事記の中で、初代神武天皇を橿原に導いた八咫烏(ヤタガラス)をあしらった金印が描かれています。
御朱印には、北区観光のシンボルのしぶさわくんのスタンプを押していただけます。
これらを神職様より授与していただきました。
八咫烏の御守りもありますので、元気をもらえますよ!
王子神社は東京都北区にある東京十社の1つ開運除災と子育大願の神社地域名である王子の地名の由来となった神社祭神は伊耶那岐命伊耶那美命天照大御神速玉之男命事解之男命元亨2年に領主豊島氏が熊野より勧進したとされる。
(余談だが豊島氏は平氏系の秩父氏の系統で平安時代に遡れる、室町戦国期にはいまの練馬区、豊島区、北区など石神井川沿いに勢力を広げた国人)熊野信仰の拠点として後北条氏や関東移封後の徳川家康からも朱印状が発給され社領の寄進安堵されている。
その後は、8代吉宗のころには吉宗が紀州ゆかりであることから崇敬され飛鳥山を寄進されている。
御朱印は書置き、御朱印料は定額ではなく参拝者による(参拝者が決める、私は相場の500円にしました)なおPayPayが利用可能である点最寄り駅はJR京浜東北線、東京メトロ南北線の王子駅から3分ほど(2021.5)コロナ禍の状況次第で御朱印も書置き、書込みも変わると思うのでご留意ください。
創建は不詳ではあるが、鎌倉時代の元亨2年(1323年)、当地の領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神を勧請したことに由来する。
江戸時代には徳川将軍家の祈願所と定められ、代々の将軍に崇敬された。
明治元年(1868年)には明治天皇より、皇都守護「准勅祭社」の東京十社に定められ、東京の北方北方守護として鎮護している。
GWです、今日も東京十社めぐりの一社。
王子神社です、JR王子駅から5分ほどとアクセスが良いです。
また、参道を含めて階段がないので足腰が弱い方等も参拝しやすいと思います。
さて、初対面の印象はとにかく緑が多いと感じました。
青空に新緑が気持ちよく、清々しい気持ちで参拝ができました。
その後境内を見て回ると、鳥居をくぐって左手に立派なお神輿が展示されていました。
広大な神社とは違いますが緑豊かで都会の癒しスポットとしてお勧めできます。
〇〇姫神社という名前は沢山あれど、〇〇王子神社はなかなか無いのではないでしょうか。
しかし、ここは王子は王子でもただの『地名』です。
致命的なミスをおかしてしまいました。
さて、JR王子駅から直ぐ、都電荒川線がそばを走る桜の名所飛鳥山公園から程近い場所に鎮座する元準勅祭社で東京十社の一社の王子神社。
都心部より少し離れているためか、水と森で囲まれた環境にあります。
鉄道や幹線道路などの喧騒こそありますが、神社境内はいたって穏やかです。
子供たちの遊ぶ広場もあります。
駐車場もあるので参拝もしやすいです。
境内の外れに関神社という髪の祖神もあります。
不安な方は訪れてみてください。
王子神社 / Oji Shrinet王子駅から数分のところに鎮座する神社。
創建年月日は不詳。
ただ、1322年に熊野から勧請したという由緒がある。
江戸時代には歴代将軍に崇敬され、江戸名所の一つだった、模様。
熊野の「王子大神」が社名の由来で、それが「王子」という地名にもなったということ。
日枝神社や神田明神などと共に、明治天皇が定められたとされている東京十社の一つで、開運除災と子育大願の御利益があるとのこと。
外の人を迎え入れるかのような開放的な所とひっそりしたところが程よくバランスした地である。
国内でも珍しい髪神社が王子神社内にある。
徳川家とゆかりの深い神社です。
特に紀州との縁があるらしく、紀州出身の吉宗公はこの地をよく訪れたり、色々と奉納なさっていたそうです。
又、飛鳥山公園への桜の植樹なんかも熱心になされたそうです。
少しはずれには大きなイチョウの樹木があり、それは東京空襲の戦火をまのがれた、貴重な樹木だとか。
大きな神社ではないので、直ぐに見終わってしまいますが、徳川将軍家との深い繋がりに、由緒正しい神社なんだなと、看板?を興味深く読ませて頂きました。
王子方面に寄られた際に、立ち寄りお詣りされては如何でしょう。
※御覧頂きありがとうございました。
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おみくじ 今年初めてのおみくじ37番半吉でした。
とても良い気持ちのいい神社です。
案内板がデジタルのタッチパネルで参拝方法など教えてくれます。
駅から近いし、隣がセブンイレブンになっちゃったけど。
パッと見は荘厳だし、歴史あるんですけど。
禰宜さん?あんな横柄な人も神社で珍しい…「何様だ💢」感ある。
お守り買った後だけど返したくなった。
※私の評価は途中からではありますが、私如きが神社仏閣を評価なんてとんでも無いと思い基本普通の★3にさせていただいています。
コメントをしようとしてコメントを読んだら皆さん髪の事を書いてらっしゃいますね、先にコメント読んで行けば良かったと思っています。
多分お参りはさせてもらってるはずですが、何も考えず御参りしたんだと思います。
クセ毛をなおしたいとかのお願いも聞いてもらえるんでしょうか?とにかく次の時にはちゃんと意識してお参りさせてもらおうと思っています😄
王子駅から徒歩5分程の北区役所前に有ります。
大きな風格のある鳥居⛩️ですニャン😺王子の名前の元祖であり王子稲荷神社など江戸時代この辺りで栄えた信仰スポットです。
そして今でも東京十社の一つですニャン歴史は古く源氏の御家人豊島氏が紀州熊野三社権現王子大神を宮として祀った事からこの辺りは岸村から⭐王子村となり王子権現として以降徳川将軍家の祈願所として厚遇され春日局が祈願に来たり特に元紀州の将軍吉宗公はこの地域の飛鳥山に桜を植樹したり渓谷を流れる川を紀州の音無川と同名にしたり(現石神井川)して愛でました。
紀州人の功績は大きいニャン!広重の浮世絵にも王子神社の別当金輪寺(神仏一体)として描かれています。
神社の一角には關(せき)神社と云う百人一首の歌人⭐蝉丸を祭神とした神社が有り髪を祀る事から理容業者に厚く信仰されているニャン、姉思いの優しい蝉丸が逆髪で悲しむ姉のためにカツラを考案したとの事そう言えば頭巾姿の蝉丸も坊主めくりでは判断に困まった憶えが有りますニャン😸入り口脇には祭礼に使用するためのキラびやかな✨神輿がありましたニャン!
御朱印は金額が決まっておらず、お気持ちで頂いておりますと、ボソボソっと言われました。
神社自体は綺麗で静かです。
境内の清掃が行き届いており社殿も綺麗に整備されtました。
摂社の関神社は髪の神様を祭る珍しい神社です。
創建は詳らかではありませんが、源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていたと思われます。
その後、元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれます。
それよりこの地は王子という地名となり、神社下を流れる石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれています。
戦国時代、当地の領主となった小田原北条氏も当社を篤く崇敬し、朱印状を寄せて社領を安堵しております。
徳川時代に入ると初代家康公は天正19年(1591年)、朱印地二百石を寄進し、将軍家祈願所と定めました。
二百石は当時としては広大な社領で、それより代々将軍の崇敬篤く、「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなります。
三代家光公は寛永11年(1634年)、新たに社殿を造営、林羅山に命じて縁起絵巻「若一王子縁起」三巻を作らせて当社に寄進しました。
その後も五代綱吉公が元禄16年(1703年)、十代家治公が天明2年(1782年)、十一代家斉公が文政3年(1820年)と造営修繕された社殿は秀麗な権現造りで、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も17社を数えていました。
特に八代吉宗公は紀州徳川家の出自で、この地に紀州ゆかりの当社があることを大いに喜び、元文2年(1737年)に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としました。
これが今に残る花の飛鳥山(現 飛鳥山公園)の基となったもので、現在も桜の季節には多くの花見客で賑わっています。
明治元年、明治天皇は新たに首都となった東京を守護し、万民の安寧を祈るため、准勅祭社を定めました。
当社もこの東京十社に選ばれ、以来、東京の北方守護として鎮座しております。
戦前は「太田道灌雨宿りの椎」と伝えられる巨木を始め、多くの樹木が茂り、勝海舟も修行したと伝えられますが、戦災で東京都指定天然記念物の大イチョウを残し、ほとんどを焼失したことは誠に残念なことです。
戦後は氏子一同、復興に努め、昭和39年の第一期、昭和57年の第二期造営を経て、黒塗りと金箔をほどこした壮大な権現造りとして社殿を再建、境内を整えて現在の景観となっております。
王子神社の南側、音無川に下る小道にそびえる樹齢600年の銀杏の木。
かなり遠方からでもこのイチョウは見え、付近と異なる風致地区を形成している。
大正13年の実測によると、目通り幹囲は6.36メートル、高さは19.69メートルであったという。
枝はあまり多くないが、うっそうとしており、樹相はきわめて立派である。
一帯の森の中心となってパワースポットを形成している。
王子神社は豊島氏の旧跡であり、このイチョウも、その当時植えられたものであると伝えられている。
飛鳥山公園と並ぶ王子近辺の名所です。
創建年は不詳ですが、14世紀初頭には豊島氏により再建されていることから歴史ある神社です。
王子の由来は再建時に熊野から若宮王子宮をお招きした事から来ています。
春に訪れると飛鳥山の桜とマッチして見応えありそうです。
王子駅から徒歩5分で行けます。
毎年の大晦日は必ず行き、新春御祈願を見ます。
お参りにもいかがでしょうか?真っ正面にある、北区役所に近くて便利です。
郵便局もすぐそこにあります。
今日は、とても暑いですが此処は、涼しくて気持ち良いです。
たまに、里帰りした時には必ず寄る場所です。
聞こえる蝉の鳴き声も涼しげに感じます。
富山市五福から上京して来た、私の祖父清水石太郎とその子供たちが、昔お参りしていた神社です。
父の叔父清水清太郎もだと思います。
とても大切な神社です!従姉妹の洋子さんもお参りしています。
今書いている詩からです。
父 (あの日あの時) 「たろうはこの長い四角の皿にカボチャのスープを 入れてスプーンで叩くとニコニコしながら這ってきた」 姉と私は双子であったので父は配給のミルクを 怒鳴り合いの喧嘩をしながらもらってきた 古井戸のそばで水を汲んでいる父に 「ぱっぱちいない(タバコ吸いなさい)」と姉が何度も言う 太郎君はお父さんの自転車に乗りたかった お父さんは貸してくれなかった 太郎君とお父さんはバイクで大垂水峠にフキを取りに行った その帰りに見晴らしの良い木の枝で男が首を吊っていた 高尾山の森のお父さんだけが知っている秘密の場所に 椎茸を取りに行った大収穫でした 太郎さんから見ると自分勝手で女好きで競輪にのめりこみ 何故か共産党を支持し偏った宗教心が強いお父さんです 「太郎 救命丸 飲んだらだめかな」遠慮がちに言います 「駄目だよ 病院の薬があるだろう」太郎さんは素っ気なく答えます この数日後にお父さんは亡くなりました 90歳でした 奥さんに「あのときに全部飲んでいいよと言えなかったのか 心残りだよ」と後で何度も言いました 「貴方も最近はお父さんに声も考え方も似てきたんじゃない」 「親子だから似てくるよ」と言う嬉しい私がいます 父よ貴方は反面教師ばかりではありませんでした 「死んだらお前の守護霊になって何時も守っているからな」 「お父さんそれじゃあ私の肩が重すぎるわよ」と娘が言う 親父は私の守護霊になって守ってくれているに違いないと 確信する還暦を超えて65歳に近づいた太郎さんです 昔書いていた詩(5)先祖富山湾の うねりに 招かれて僕は遠い故郷を 訪れる神通川の 畔で百年前の 僕の血族が真言を 唱える僕も父も 国の厄介者で僕は国を 罵倒する側呻き 沈み 流転の果てに無縁墓地に 眠る ああ それが僕の 運命なら今から 逆転させる為の時計のネジを 捲こうそして 自分の思想と自由を 放下する 癌の男 六人部屋の男は個室に移された 個室の男は処置室に移された それが三日前のことだったが 正面の看護婦詰所から 弾んだゴムまりのような声が聞こえていたが 苦痛の海の中を遊泳する 男の耳には届かない 目がひっくら返り 喉がカラコロと鳴ると 彼女たちはやってきて 男を蘇生させる それが先ほどのことだった 白衣を翻して 足早に帰ってゆき 「危ないわよ あの人」と囁く 昨日食べた夕飯の話を附け加える 霊安室にはエレベーターで 直通 男の勤勉さに比べたら 残された財産は餘にも少なくて 免罪符も買えない エレベーターの中で上下している 男の黙示録は何処にある サイパンで玉砕した生き残り 三年後にジャングルから逃げ帰ると 葬式が済んでいた 帝国海軍陸戦隊の一員 勲章はない ニコヨンから 板橋区公園課飼育係 民生アパートに住み 妻と二人暮らし 病気が治ったらもう一度 サイパンに行きたいねと言っていた男 その名はシミズシゲキチ もう過ぎた昔の話です。
王子神社なのに、ここで安産祈願した子(3回中3人共に)は女の子だった。
分かるかなぁ?王子(男の子)。
清潔感あって景観のよい神社です。
王子駅より音無親水公園を経由してすぐの場所にあります。
樹齢600年の大銀杏の生命力はすごいですよ♪末社の関神社は髪の毛に関するご利益があるそうです。
東京10社の一つ。
ご朱印いただけます。
名前 |
王子神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3907-7808 |
住所 |
|
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評価 |
4.1 |
東京十社のひとつで、春日局が幼少の徳川家光の健康と大成を祈願して、願いが叶ったと言われている神社で、一度は伺ってみたいと思っていたので、桜の時期に参拝させて頂きました。
王子駅からは音無親水公園を少し歩き、直ぐ右手に王子神社の階段があり、徒歩3分位で着きました。
階段を上がって行く時は親水公園の桜が美しく、上がりきると樹齢600年といわれる大きな銀杏の木があります。
境内も本殿もとても美しく、清々しい気持ちになりました。
平日に伺ったのですが、ひっきりなしに参拝の方が訪れていました。
お神輿もガラス越しに見る事が出来ました。
御朱印は直書きして頂けました。