史跡ですよ観るかちありますよ昔ながらの知恵です。
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車返しの切り通し堀川工事で一番の難所だったのが、車返しとよばれるこの場所の掘削で、ノミの刃は2時間もすると使い物にならなくなり、鍛冶場がつくられたほどで、約400mの距離を約5.4mの幅で掘るのに9年間もかかりました。
現在は、折尾高校から河守神社にかけての岸壁にノミの跡や線刻文字が残り、当時の難工事を物語っています。
『吉田車返切貫(クルマガエシキリヌキ)の線刻文字平成17年に福岡県北九州土木事務所の新々堀川河川改修に伴って水巻町教育委員会が文化財調査を行いました。
約 1.8mのヘドロを除去した下から昔の河床が姿を現し、正面の崖面で長さ約 50m、幅 1m、高さ 1.6mにわたり岩盤を削り出した跡がみつかりました。
これは川ひらたの接岸施設の一部と考えられます。
さらに、線刻文字が刻まれていて、「三尺五寸下(サンシャクゴスンシタ)」などと解読できます。
堀川開削工事(1751~59年)に関係するもので、三尺五寸(約 106cm)は当時の水位または工事の時の目印を示すとも考えられます。
この他にも 15m南側の崖面に 「文」 という文字が見つかっていて、郷夫頭(ゴウフガシラ / 藩召抱えの石工の頭)の勝野文兵衛の名前と一致することは興味深いことです。
なお、50m下流には、90m大の加工された石が 5~6個据え置かれて並べられ、これも接岸施設の一部と考えられます。
現在では埋め戻されています。
水巻町教育委員会 』
看板も設置しています。
名前 |
車返しの切り通し跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
技術の結晶です。