2021年 5月参拝。
神社はいいですね。
ここもこれからもっと綺麗になって行くでしょう。
皆さん自身の氏神様はご存知ですか?
浦区公民館から曲がって、住宅街の突き当たりに鳥居があり 駐車スペースがありました階段を上がると綺麗にお手入れされた境内が広がっていて、社務所もありますこちらは日峯神社さまが兼務されており、お祓いや、御朱印は予約になっています近くの厳島神社さまにもお詣りされるのがお薦めです。
須賀神社は、狩尾岬の狩尾神社の御神体も祀られているらしく、今は狩尾神社の看板が掲げられているようです。
『■祭 神 ●狩尾神社 大巳貴命(オオナムヂノミコト) (日本最初の地主神・厄除・家内安全・商売繁盛等) 國常立尊(クニノトコタチノミコト) (国土形成の根源神・神代七代の神・新規事業・活力の創造・企画・健全・指導守護) 天児屋命(アメノコヤネノミコト) (中臣氏の祖神・祝詞の神様、何事も仲をとりもち円満に納める神・出世) 天手力雄命(アメノタヂカラオノミコト) (神力無双の神・スポーツ、技芸上達・開運) ●須賀神社 建速須佐男神(タテハヤスサノオノカミ) (天照大御神の弟神・祇園の神・厄除) 稲田比賣神(クシナダヒメノカミ) (建速須佐男神と結ばれ夫婦神・良縁・家内安全)■由 緒創建は両社共に不明ですが、元禄八年貝原楽軒による狩尾神社縁起によると、京都の石清水に八幡宮がまだ勧請されていない時代、石清水の地主神狩尾(とがのお)大神を狩尾岬に勧請したのが当社の始まりとされています。
その後、当社の東側に鎮座の戸明神社がいつの時代にか壊れ、そのお神さまである天手力雄命を左殿に合祀し島郷十八村の総社として崇められると記述されています。
また狩尾の地名は一説によると天智天皇筑紫巡幸の節、この森で狩りをしたことに由来するともいわれています。
■狩尾神社の歴史日本書紀や続風土記・遠賀郡誌等多くの書物に記載されている狩尾神社。
古来は山鹿島(現在の山鹿地域・若松区全域・水巻町猪熊地域・八幡西区浅川地域)の総社として遠近からの崇敬厚く、寿永(1182年代)の時代には山鹿城の城主山鹿兵藤次秀遠が当社を崇め、その後の城主・領主も麻生氏(1560年代)の時代まで約350年余り当社を崇敬し、社殿の築造や多くの神田を寄附していました。
天正15年(1588年)に豊臣秀吉が九州を征伐し諸社の神領を没収し、小早川隆景が力をつけると、麻生氏の家が衰頽していき、それと共に神社も衰えていきましたが、その後も祭祀を怠ることなく祭事を続け、山鹿地域の村人達によって伝統行事が守られていきました。
明治5年11月3日、社格が上がり郷社に定められ、第二次世界大戦後も数年間は例祭時に古式豊かな筑前御殿神楽が奉納されていましたが、昭和40年代に火災により社殿が焼失した為御神体を一時的に元町区の須賀神社へ合祀いたしました。
現在に於いても、狩尾神社の御神体は須賀神社に合祀されている為、この須賀神社を狩尾神社とも呼ばれています。
■狩尾神社の境内地元の狩尾神社は狩尾岬に境内地があります。
住所は芦屋町山鹿864番地。
海辺には千畳敷が広がりその一角に現在でも鳥居があり、参道と思われる岩がその鳥居から陸地まで組み上げられています。
※社殿焼失後は、境内の整備等もなされていないので神社の跡地に行かれる場合はご注意をお願い致します。
』
洞山に行く途中に狩尾神社の鳥居があったので周りを少し探しました。
狩尾崎の狩尾神社が焼失したため、須賀神社へ合祀。
狩尾神社は日本書紀などにも登場する古社のため、主祭神のような状態に。
名前 |
狩尾神社須賀神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
093-223-0952 |
住所 |
|
評価 |
3.7 |
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2021年 5月参拝。
初めて 参拝❗遠賀川沿いの 河口近くに 鎮座しており…近くの道は 狭めです❗もともと 狩尾神社さんが あったのですが…火事で 消失した為 須賀神社さんと 合祀して 両神社の 社名と社紋が あるようです❗御朱印も、1年まえから 月替わりが あるようで…神社再建を されているよう…1日、15日に 社務所は、開くようですが…近くの 日峯神社さんが 兼任されているようです❗駐車場は、鳥居前に 数台 止められます❗