久留米の女性のなかで最も有名な人だといえます。
太宰治は久留米絣の愛用者だった。
平成29年6月10日訪問久留米と言えば久留米絣というくらい有名な絣ですが、その久留米絣の創始者が井上伝。
徳雲寺の境内に墓がありました。
立派な石碑のようなお墓です。
ちなみに、久留米絣は井上伝が12歳の少女の時の考案。
藍と白に染め分けた糸で織り、独特の文様を表します。
伊予絣、備後絣とともに日本三大絣の一つとされています。
天明8年(1788)、久留米城下に生まれた。
久留米絣(くるめかすり)を考案し、絣の製作を筑後一円にまたがり大勢の子女に教育し、幕末久留米藩の産業として育てた大変な人物。
明治2年(1869)、82歳で没した。
名前 |
井上伝墓碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
久留米の女性のなかで最も有名な人だといえます。
1788年に久留米の通外町の米屋橋口屋の娘として生まれました。
根っからの器用さと、研究熱心さで久留米絣を生み出し 加寿利 として売り出しました。
田中久重に、久留米絣の機織り機の製作を依頼したという事もあったそうです。
晩年は、実家の近くに作業場をもうけ、多くの子女を養成し久留米絣の発展に寄与しました。
1869年に82才の高齢で亡くなりました。
久留米絣は、国の重要文化財に指定されています。