とても丁寧に案内していただけます。
入った事はありませんが、歴史的良い所で歴史的建造物です。
私は熊本市で生まれ、松江で育ち、現在は東京にいます。
そういった意味で小泉八雲とは何かの縁を感じています。
今回、熊本へ旅行する前に東京にあるお墓にも行ってきました。
小泉八雲の旧居は松江にもありますが、展示されている展示物は松江の方が多いです。
ここ熊本では熊本時代の逸話などを見ることができたので、非常によかったです。
松江の冬が寒くて熊本に引っ越したことは初めて知りました。
鶴屋の裏側、アーケードの裏にあるので、近くに来られましたら立ち寄ることをおすすめします。
前に島根の小泉八雲記念館に行き、こちらにも足を運びました。
街中のビルの中にありました。
夏目漱石との比較や八雲の日常が面白かったです。
地震の爪痕がまだ残っていて早い復興を願います。
かつて小泉八雲が住んだ家。
賑わった街中にひっそりと佇む。
当時の小泉八雲の暮らしが垣間見える、そんな素敵な場所でした。
小泉八雲に関する貴重な資料があり、文学史で習うだけでは学べなかった人となりを知ることができました。
管理人さん?の説明も大変参考になりました。
小泉八雲熊本旧居は、熊本市役所の南東300mほどの鶴屋百貨店の南隣にある蓮政寺公園の中にあります。
周りはビルに囲まれた都会の公園となっています。
開館時間は9時30分~16時30分で、入場無料です。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、明治24年(1891)年11月、熊本大学の前身である第五高等中学校の英語教師として島根の松江中学校から赴任し、明治27年10月までの3年間を熊本で暮らしました。
熊本に来て最初に住んだ家が手取本町34番地にあったこの家で、この家を借りるにあたって、ハーンは特に注文して神棚を設けました。
毎朝神棚に拍手を打って礼拝し、人力車で学校に通っていたハーンは日本の心を深く愛していました。
日本を世界に紹介した「知られぬ日本の面影」「東の国から」などの著書は熊本での生活から生み出されたものです。
熊本市内にある小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧居です。
八雲と言えばどうしてもその名前の由来となった出雲国(島根県)松江のイメージが強いですが、松江ののちに2年ほど熊本に住み、第五高等学校で英語教師をしています。
その後は神戸、東京に居を移し東京帝国大学講師時代に小泉八雲を名乗ります。
つまりこの熊本在住の段階では「小泉八雲」と言う人間は存在せずこの点をもって小泉八雲の旧居と言う表現が正しいか多少疑問です。
小泉八雲に関する展示がたくさんあります。
とても勉強になります。
繁華街そばにこじんまりと旧居がありました。
お家の中を見学させて頂いたのですが、道に迷い混んでタイムスリップしたような、とても不思議な感じがしました。
作家さんに興味はなくても、なかなか達成感のある場所でした。
ラフカディオ・ハーンさんは引っ越し先が多い⁉️私が知ってる旧居は松江、新宿にもあった❕❕当時の学者は日本を転々として 世界に日本の風土や森羅万象のこころを発信していたのかな?
とても丁寧に案内していただけます。
街中だけど、静かなところでした。
小泉八雲のことを色々知ることできます。
震災復興で、入場無料だった!
小泉八雲ゆかりの場所。
英語教師として熊本に赴任した三年間(明治24年)に暮らした最初の民家です。
ここから学校へ人力車で通勤していたそうです。
著書、知られぬ日本の面影、東の国から、などは熊本に関係する本になります。
観光地としての直接の駐車場はありません。
市内アーケードの各駐車場を利用してください。
ここの館長さんは、すごくお話上手で、色々教えてもらい、楽しめました。
Currently partially close to public following 2016 earthquake, the entrance is for free.
震災から一年経つのに一部公開のみ。
ただ、その分、無料。
ラフカディオ ハ-ン好きなら是非!
震災後は無料です。
お勧めです。
google太牛了。
名前 |
小泉八雲熊本旧居 |
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ジャンル |
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電話番号 |
096-354-7842 |
住所 |
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営業時間 |
[火水木金土日] 9:30~16:30 [月] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
小泉八雲ラフカディオ・ハーンとして知られて、ラフカディオがファーストネームと思われているが、本当はパトリック・ラフカディオ・ハーンでラフカディオはミドルネーム。
アイルランド人のプロテスタントの父とギリシア人の母との間に生まれた。
両親の離婚後父方の大叔母に育てられ、厳格なカトリック文化の中で成長…その為のキリスト教に嫌悪感を持ち、聖パトリックに因むファーストネームを使いたがらなかったとか…。
母にはアラブの血が混じっているとかで、自分も半分はアジア人と云ったり、世界の色んな処を渡り歩き、その為の人種とかに拘りがなく、混血黒人女性と結婚しようとしたり、日本人の小泉セツと結婚する際も全く抵抗感がなかったとか…。
ラフカディオ・ハーンの熊本時代の居所跡。