階段が108段あり、眺めはいいです。
健康ウォーキング、スマホ写真趣味を兼ね公園や神社仏閣の🌼花スポットを追っています。
大津山阿蘇神社の境内にはツツジがとても多くて見栄え良く植樹されているので満開が楽しみです。
現在、個人的感想としてはツツジは咲き始めです。
ツツジ満開をイメージし、その写真を撮りたいので、又、行く予定です。
令和2年2月24日参拝 御朱印頂きました。
下宮までは車で行くことが出来ます。
物凄く狭い道なので慎重に!とても手入れされている神社で気持ちがいいです。
授与所で頂けない時は張り紙がされていて「御朱印承ります。
※自宅(下石段右側)」とあります。
南関ICを降りて直ぐにあります。
交差点に鳥居があり、迷わず着きます。
階段の先に立派な山門があります。
更に階段がありますが、足腰に不安のある方は階段の手前で参拝できます。
階段下の社務所にて御朱印を頂きました。
大津山阿蘇神社は、南関ICの南東1.5kmほどの山の麓に鎮座している神社です。
ニノ鳥居の手前から狭い入口から駐車場に入れます。
拝殿までは108段の長い石段が続きますが、眺めは素晴らしいです。
阿蘇の神々様の御神徳を得る為に、正治元年(1199年)一の宮阿蘇神社より、建磐龍神と阿蘇都媛神の二柱の神様を勧請し、お祭りしたのが創建です。
建磐龍神は、神武天皇の皇女である速瓶玉媛命の皇子として誕生され、神武天皇の命により阿蘇地方の開発のため下向げこうされたと伝えられています。
当時の阿蘇一族の勢力は、熊本県北部の城北じ及び矢部、益城地方まで治める強大な力を持ち、その勢力下のもと、阿蘇の神々を勧請したと考えられています。
当初は、県指定天然記念物に指定されている「大津山下宮椋」のある現在の南関な第一小学校の地とされ、現在は「下宮」と称されています。
その後、南北朝(1336-1392年)時代に大津山氏が入国して領主となり、大津山城主として阿蘇の神々を篤く崇敬します。
応永2年(1395年)には、3代城主の大津山経稜が「下宮」から現在の関町の「南の関館」付近に遷座しました。
さらに、5代城主の大津山資秋が、現在地の大津山、別名つららが岳に社殿を移し、大津山大明神とか、大津山阿蘇神社と称されるようになりました。
現在の社殿は大正12年(1923年)に改築され、現在の社務所は旧拝殿です。
社務所の棟木は加藤清正の武運長久を祈り、城代の加藤直正の寄進によるものとされます。
阿蘇地方の古事に記されているのと同様に「ナマズ」を食べない風習があり、身体に通称「ナマズ(皮膚病)」ができれば、境内の池に「ナマズ」を放ち、祈願すれば全快するとされています。
尚、雨乞の神としても崇敬すうけいを集めています。
10月の第3日曜には、400年の歴史を持ち、「筑後国対 肥後国」の力士の対戦とされる奉納相撲大会が執り行われ五穀豊壌、家内安全が祈願されます。
例大祭は、11月29日です。
平成30年4月8日参拝御朱印あり(近くの宮司宅で授与)祭神:建磐龍神、阿蘇都媛神、平景清神(大津山生目八幡宮)つつじ、さくらの名所として知られる神社。
境内社に大津山生目八幡宮がある。
大津山阿蘇神社には境内に本殿と別に平景清神が祀られている眼病の神で有名な大津山生目八幡宮があります。
また、入り口には築400年大迫力の立派な楼門があります。
名前 |
大津山阿蘇神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0968-53-0625 |
住所 |
|
評価 |
4.2 |
玉名郡南関町の大津山という256mの小さな山の麓に位置します。
御祭神は建磐龍神(たけいわたつのかみ)と阿蘇都媛神(あそつひめのかみ)です。
境内には平景清神(たいらのかげきよのかみ)を御祭神とする目の神様「生目八幡宮」があります。
阿蘇地方の古事に記されているのと同様に「ナマズ」を食べない風習があり、身体に通称「ナマズ(皮膚病)」ができれば、境内の池に「ナマズ」を放ち、祈願すれば全快するとされています。
尚なお、雨乞の神としても崇敬を集めています。