台方にある麻賀多神社の奥宮になります。
台方にある麻賀多神社の奥宮になります。
台方から車で約7分ほどです。
駐車場は神社目の前に、隣の幼稚園と共有の駐車場があります。
手前はカーブなのでスピードは出さないと思いますが、時間帯によっては園児の送り迎えと被るので車で行く人は注意です。
麻賀多神社奥宮は、もみじの木が多い印象なので紅葉の季節は本当に楽しみですね。
また、境内なのか隣地なのかはわかりませんが、初代印波国造の伊都許利命の墳墓があります。
いわゆる古墳で発掘調査もされているようです。
しかも、発掘時に出土した石蓋が置かれ、石棺が見えるように祠もおかれお参りできるようになっています。
石蓋には触らないようになどの注意書きが無かったので触ってきました。
最高です。
船形の麻賀多神社は、台方の麻賀多神社の奥津宮です。
式内社(平安時代に官社として認定された神社)で歴史のある神社です。
境内は夏は緑、秋は紅葉がきれいなところです。
神社の駐車場は神社向かいにあり、近くの幼稚園の駐車場と一緒になっています。
2022/7/25カーナビだと住所がズレていて、田んぼに案内されてしまうので、Googleでナビしたほうがいいかも。
もともと古墳で、麻の歴史とはちょっと違う、船形地区での神社というような感覚でした。
拝殿の梁の龍神様が、こんなところにあしらわれているなんて珍しいと思いました。
左手側の広場に、カエルやチョウチョやトンボなど、生き物がいっぱいいて宮崎アニメのような、自然豊かな空間で癒やされました。
歴史を感じる神社です。
手水鉢は安永4(1775)年、寛政12(1800)年、石灯籠には安永4(1775)年、寛政10(1798)年の年号が刻まれていました。
石を運んでから作ったのか?ここまでどうやって運んできたのかと思いました。
同じ名前の神社が近くにありますが、舟形は奥宮、台方は表宮のようです。
駐車場は鳥居前の幼稚園の駐車場に止めていいようです。
台方と比べて、さっぱり(シンプル)してます。
歴史を感じる場所です。
かつて印旛沼が利根川と一緒になっていて香取海となっていた頃を彷彿とさせます。
20210503成田方面ぶらっと散歩に行って来ました!「埴生神社」で参拝を済ませ、「麻賀多神社 奥宮」に向かいます!埴生神社から、約5kmほど車で10分で麻賀多神社 奥宮に到着です!この辺りは「公津原古墳群」と呼ばれる、120基ほどの古墳(4~7世紀頃)が点在しているとの事です!麻賀多神社 奥宮は、丘のてっぺん「伊都許利命墳墓」(古墳)と大きな幼稚園とに隣接しています。
駐車場は、くすのき幼稚園と麻賀多神社との共同の様です!鳥居をくぐると、右手に「伊都許利命」の墳墓があります!これは、古墳出土石(石棺)との事ですが、お参りは後程!参道を進むと小ぶりな拝殿が鎮座しています!拝殿の扁額には、「麻賀多大神宮」とあります!何と「癒し」、「浄化」のご利益あるそうです!境内には、かなり多くの摂社・末社がありました!御朱印は、1日、15日のみに拝受出来るそうです!麻賀多神社奥宮:千葉県成田市船形に鎮座御祭神:稚日女命(わかひるめのみこと)御由緒:印旛国の初代国造・伊都許利命が霊夢により杉の根元から7個の玉と1枚の鏡を掘り出し、稚日孁命を祀ったのが奥宮の始まりと言われているそうです!その後、伊都許利命の八世子孫・広鋤手黒彦が台方に社殿を造営したそうです!よって、船形の『麻賀多神社』を「奥宮」、台方の社を「大宮」と言うとの事です!
2021.4.15訪問こちらの先に本宮に伺ったが田植えの神事で社務所はお休みとの貼り紙。
気持ちを切替えて奥宮を目指す。
こちらは社務所も開いていて、お詣りの後御朱印を頂く。
とても丁寧な対応、美しい書体で書き入れて頂け感謝!鳥居脇の楓の新緑が目に鮮やか。
2021.5.1再び参拝前回麻賀多神社本宮がお休みだった為、5月1日本宮に参拝。
その足で奥宮ヘ。
今回は季節の御朱印を書入れて頂いた。
御朱印を待つ間、松の手入れをされている方にお話を聴き、境内の樹木が丁寧に管理されているのが良くわかった。
楓の枝に実が生っていた。
住宅地のくねくね道を進み大きめの幼稚園が見えたらそのすぐ向こう側。
駐車場は、時間帯によって来た方向により案内看板が見ずらいかもですが、神社さんの斜向い(幼稚園のと共用)です。
本宮を目指したはずが車のナビをセットし間違えて導かれたどり着きました。
これぞ御縁かな。
ご朱印の受付は、毎月1日と15日のみ限定とのご案内が出てましたよー。
「ヒルコ」を「蛭子」と書いたり、「蛭子」を「恵比寿」と書いたりして、間違っています。
「恵比寿様」とは、ソサノヲ様の孫のクシヒコ様の事です。
クシヒコ様は、皆さんもご存知の事代主の事です。
またの名を、2台目大物主です。
または、ヲこちらは、和歌姫様を祀る神社だと思います。
和歌姫様の御生誕は、筑波山山麓の丘陵地であり、現在は、歌姫明神として祀られています。
勿論、船一族のカナサキ様(住吉大社の海神社の祭神)も祀られています。
だから、ここの山の住所は、船形になっているのでしょう。
和歌姫様であるヒルコ様は、イサナキ様とイサナミ様は、それぞれ北陸と日高見である多賀城辺りの出身ですから、そのふたつの中間地点である筑波山にて御成婚されました。
筑波山には、イサ宮が建てられ結婚されたので、イサナキ様とイサナミ様と言われます。
そして、アマ神7代目となられましたイサナミ様は、伊勢外宮の豊受大神様のトヨケ様の長女になります。
本名は、イサコ様です。
一方、イサナキ様は、アワナギ様の息子にあたります。
本名は、タカヒト様になります。
イサナキ様の弟には、クラキネ様がいらして、立山の祭神になっていてもおかしくないのですが、公私混同して内乱な原因を作った方ですから、天照大神様から、祀ることは、許されず、別な方を祀られています。
また、イサナキ様には、もう一人妹がいて、白山姫様である菊理姫様がいます。
この方は、天照大神様の御生誕の産婆となられ、天照大神様の本名を聞き取りました故に、菊桐姫様(キクキリヒメ)という皇室の名前を拝命されています。
また、菊桐姫様は、イサナミ様が亡くなられてから、イサナミ様の遺し文には、遺体を誰もが見てはならないと聞き取りましたが、イサナキ様は、もう一度会いたいということで、たいへんな目に逢わされています。
さて、こちらの麻賀多神社奥宮の本来の名前は、勾玉神社というものです。
和歌姫様は、天にタマを還す方法と肉体であるシイを別け離す能力をお持ちでしたので、勾玉の三つ巴の紋となっています。
また、和歌姫様(ワカヒメ)と言うお名前ですが、「ワカ」とは、最初と言う意味です。
「ヒ」も(一二三のひ)です。
「ワカヒ」に女であるがために「メ」「女」となり、「ワカヒメ」と命名されました。
和歌姫様誕生から、八年後に天照大神様が誕生されたのです。
ですから、ヲシテ文献には、96か月もイサナミ様のお腹に居たことにしたのです。
なぜなら、イサナキ様とイサナミ様の御成婚は、男子の皇子が切望されていたからです。
よって、極少数の人だけが、和歌姫様の誕生を知らされてはなく、和歌姫様の数えで三才の時に筑波山山麓のイサ川から、イワクス船に乗って太平洋を渡り、数ヶ月掛かって廣田神社に到着したのです。
斎楠船とは、貴賓が乗る船の事です。
船には、鳥の彫刻が成されていました。
それは、廣田神社で待つ和歌姫様の養父となられるカナサキ様が大航海の時に遭難を助けてくれたのが、クジラや海鳥だったから、カナサキ様自らの手で造られたのです。
さて、ソサノヲ様の孫のクシヒコ様のことですが、別名ヲコヌシ様と言います。
漢字で書くと「大国主」となり、ソサノヲのの長男であるオオナムチ様と勘違いされてます。
「ヲコヌシ様」の名は、ニニギノミコト様が、クシヒコ様に贈られた贈り讃名です。
奈良県桜井の三輪山が御陵です。
生きているうちに洞窟に入られ、食を絶ちました。
天照大神様から贈られた八重垣剣を持ちながらの神とされているのは、神上がりとなり、この日本を守ってらっしゃいます。
本日、私は、麻賀多神社にご挨拶に行きました。
そこで、アワ歌を何度も歌わせていただきました。
涙が溢れ止まりませんでした。
和歌姫様とコンタクトした気持ちと成りました。
By ロックベル。
20191215に行きました。
佐倉の麻賀田神社へは何度も行っていましたが、成田は初めてでした。
台風の影響でしょうか、鳥居の足が折れていました。
木々も倒れて、この山が受け止めたのでしょう。
里宮より徒歩で15分かかります。
けっこう辺鄙な所にあります。
二之鳥居は傾いていて募金を集めていますので、皆さん募金をよろしくお願いします。
社殿の背後にはご神木の大杉が堂々たる威容を誇っています。
隣に印波國造伊都許利命の古墳があります。
古墳と隣の幼稚園の間には金刀比羅社があります。
御祭神は稚日孁命創建は社伝によれば応神天皇20年(289年)、神八井耳命の8世の子孫である印旛国造・伊都許利命が現在の成田市船形に社殿を造営し、鏡を御神体として稚日霊命を祀り、杉の木の下から7つの玉を掘り出し御神体として和久産巣日神を併せ祀りました。
和久産巣日神は推古天皇16年(608年)、伊都許利命の8世の子孫の広鋤手黒彦命が、神命により現在の成田市台方の麻賀多神社に遷座したと伝わります。
はじめて参拝した時は暗く怖かったのですが今回は静かで暖かな雰囲気の中参拝してとても癒されました。
境内には古墳や印旛国造・伊都許利命のお墓もあります、平日は隣接している幼稚園の園児の声がしますが、幼稚園がお休みの時にはとても静かです、台方の麻賀多神社が有名ですが台方が動や陽ならばこちらは静や陰と感じます。
台方の麻賀多神社とは違った雰囲気で、時間があるようでしたら台方の麻賀多神社より車なら10分くらい、歩きだと20分くらいの場所に鎮座していますので参拝されては如何でしょうか。
地元のかたが御朱印を書いてくださいました。
とても感じの良い神社でした。
麻賀多神社は、ほぼ現在の千葉県の印旛郡と成田市・佐倉市の一帯のみに十数社分布する。
「麻の取れる土地」=「麻県(まあがた)」をその名の由来と見るのが自然のように思う。
朝廷に木綿や麻を納める阿波忌部氏が、東方に移り住み、この千葉県北部に入植したという説が『古語拾遺』などに記載されており、あるいはそういう古代氏族が祀った神社なのかも知れない。
だが、現在の社伝はそれとは違う。
日本武尊が東征の際、五穀豊穣を祈って創祀したという説明がなされている。
こちらは「奥宮」で、「印波国造伊都許利」の墳墓と伝えられるものが境内にある。
断言はできないけれど、数キロ離れた台方地区にある「本宮」と一体をなし、すべての「麻賀多神社」の総社ではないかと考えている。
駐車場はわかりづらいですが、隣のくすのき幼稚園と一緒の様で、目の前に有ります。
右側には古墳もあり、厳かな雰囲気です。
宮司はいませんが、参拝者は結構います。
何故か、神社の中では鳥が居ない?さえずりが聞こえませんでした。
名前 |
麻賀多神社奥宮 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
0476-93-8034 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.5 |
麻賀多神社参拝後奥宮参拝🛵奥宮は雰囲気があってとても落ち着く感じでした😊緑のもみじも綺麗だったけど絶対に紅葉時期は綺麗🍁駐車場あります!助かります!