辛亥革命に興味なければ辛いと思われる興味があればオ...
宮崎兄弟の生家(荒尾市宮崎兄弟資料館) / / .
無料です、展示されているのは有料です。
庭にはボタンがもうすぐ見頃です。
静かに歴史を学べます^^; 荒尾村での古い出来事知りませんでした〜
凄く綺麗にされておりました。
資料館には入りませんでしたが、庭を一人でゆっくりと見ることが出来ました。
歴史好きな方には、オススメです。
ここは、宮崎寅蔵(滔天).、民蔵、彌蔵、八郎の四兄弟が育って、活躍した場所です。
滔天は、大江義塾から早稲田さらに長崎カブリ校と遍歴し、彌蔵の説く革命的アジア主義に共感し、上海に渡ります。
その後理想を同じくする孫文に出合い、宮崎家に招きます。
その後の孫文の辛亥革命に大きな影響を与えます。
宮崎家当主の民蔵は、農村の貧しさを見て土地制度に疑問を持ち、土地復権を生涯の使命としました。
彌蔵は、中国を本拠地とした革命を起こし理想郷を創るべく、中国人になり活動しますが、29歳でなくなります。
八郎は自由民権思想を掲げ植木学校を設立しますが、県の反対にあい閉校し、民権党の同士と西郷の西南戦争に参加し、27歳で戦死します。
なお伊藤伝右衛門の妻白蓮と駆落ちする竜介は、滔天の息子です。
広い庭をガイドの方が綺麗に清掃してありました。
手を止めて、詳しく説明して頂きました。
掲示板では分からない事を知ることが出来ました。
本当に良い勉強になりました。
感謝です🙏庭の梅も膨らみ始めていました。
2月末は綺麗でしょう。
宮崎家の人々の「熱」を感じる展示内容です。
ただ、現代の言葉による解説が不足していて、何故宮崎滔天が孫文にそこまで価値のある存在だったのかはわかりませんでした。
30分のビデオを見ればよかったかもしれません。
たっぷり時間をとって再訪します。
来館者は私たちだけ、もともと人の少ない文化施設まで訪問を控えなくても、良いのではなかと思います。
荒尾市唯一の歴史博物館。
タイムスリップしたような建物、濃密な資料の数々、貴重な体験が出来ました。
色々お話していただき勉強になりました。
荒尾に中国に影響を与えた人物がいたなんて知りませんでした。
建物や庭園もきれいでホッとするような場所でした。
詳しく説明いただきました。
次の予定があったので次回は時間の余裕を持ってゆっくりお話を伺いたいです。
いい雰囲気の建物と庭がある。
こんな片田舎のようなところで、当時の国際人が会話をしていたと思うと感慨深い。
見るだけなら無料だし、万田坑と合わせてちらっと寄るにはいいところだと思います。
長時間過ごすところではない。
館の人が懇切丁寧に説明してくれた。
辛亥革命に興味なければ辛いと思われる興味があればオススメだが資料が雑然としている感は否めない。
201911.3文化の日に行きました。
辛亥革命により、清朝を打倒し中華民国を建国した、”革命家”孫文(中山)と親交を結び支援した宮崎滔天と、彼の三人の兄弟の業績を記念して、荒尾市が生家を買い取って展示施設としたものです。
希代の革命家と親交を結び、専制王朝から共和制への歴史的転換を成し遂げる支えとなった滔天と、幕末から明治の時代に、国内に留まらずアジアまで俯瞰しつつ、早世した彼の兄弟達の事績を、豊富な展示史料で知ることができます。
個人に関する資料展示施設とはいえ、所蔵の展示品や資料は思いのほか多岐にわたり、30分あれば十分見て回れると高をくくっていましたが、嬉しい誤算でした。
資料館の職員さんも、閉館時間が迫る中、懇切丁寧な案内をして下さって、非常に感謝しています。
また、築250年を超える民家が保存されていて、しかも展示施設として活用されているのも、稀有な例ではないでしょうか。
期待以上の展示内容の充実度と、建物の良好な保全状態に加えて、職員の方の応対も素晴らしかったので、最高評価でも足らないぐらいかなと思います。
西南戦争関連を調べる中で宮崎八郎氏の存在を知りこの資料館を訪れました。
ちょうどお客さんがいなかったのもありマンツーマンで説明してもらい他の兄弟のことも知ることができて大変勉強になりました。
宮崎滔天の「理想は実行すべきなり、実行すべからざるものは夢想なり」という言葉が心に残りました。
宮崎兄弟の資料もいいが、当時の建物が現存しておりそちらも見もの。
明治維新の頃、自由民権運動が起こり、西欧列強からアジアを解放という、国粋思想や日本という国の枠を越えた志を遂げることに人生を捧げた歴史上の人物です。
宮崎八郎、民蔵、彌蔵、滔天の宮崎兄弟は、1851(嘉永4)年に生まれた八郎は自由民権運動家で、熊本に、自由民権を唱える「植木学校」を設立。
しかし、1877年に勃発した日本最大で最後の内戦と呼ばれる士族反乱「西南戦争」において、熊本協同隊を結成して薩摩軍に参加し戦死してしまいました。
この八郎の思想が、弟たちである民蔵、彌蔵、滔天の人生に大きな影響を与えたと言われています。
八郎戦死の2年後に亡くなった、父親の宮崎長蔵の後を継いで宮崎家当主となったのが民蔵です。
彼は土地の所有が基本的人権の一つという「土地復権論」を生涯にわたって唱え続けた人物で、彼の蔵書は、宮崎家を訪れた中国革命の父、孫文を感銘させました。
そんな荒尾の人物の資料や歴史を知ることができます。
資料館。
荒尾村の歴史に触れましょう。
名前 |
宮崎兄弟の生家(荒尾市宮崎兄弟資料館) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0968-63-2595 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.arao.lg.jp/kurashi/shisetsu/miyazaki-kyodai/ |
評価 |
4.0 |
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宮崎兄弟の生家は駐車場も完備され、資料館も併設した熊本県指定の史跡となっています。
茅葺き屋根の見事な邸宅と日本庭園には樹齢200年とも言われる白梅の木や4月にはぼたんの花が綺麗に咲き誇り茶会なども模様されています。
是非一度は立ち寄ってみたい日本の美を感じられる史跡です。