日本100名城に挑戦中なので訪問。
再建された本丸御殿は、時間をとって、じっくり資料も学びたいところ。
今回はガイドさんから話が聴けて、とても良かった。
本丸御殿が再現されており、そこに鍋島藩の歴史の展示が行われている。
こんなに広い畳敷きの空間は見たことがない。
相当の費用が掛かったんじゃないだろうか。
これで無料というのは佐賀県(市?)も太っ腹だ。
西洋文化・技術の取得を先駆けた佐賀藩が製鉄、天然痘の予防接種で果たした功績が詳しく展示されている。
また、大広間で行われる佐賀の偉人(この日は、鍋島直正、江藤新平、大隈重信)が演じる20分くらいの芝居も面白かった。
龍造寺隆信をはじめ龍造寺氏の宗家居城であった佐賀龍造寺城(別名:村中城)は、平安時代末期に藤原季喜が龍造寺村の領主になって土着し、その子が龍造寺氏と称して以降、慶長期に鍋島氏が近世佐賀城を普請(改修)するまでの間、龍造寺氏の拠点であった。
1569年(永禄12年)、大友宗麟は、筑後国高良山の吉見岳城に本陣を置き、佐賀平野の北路から大軍を投じた進攻により、佐賀龍造寺城の周辺は悉く焼かれ、城は窮地に追い込まれた。
隆信は、一度は大友と和平したが、1570年(元亀元年)、再び宗麟は大軍で佐賀に攻めて来た。
再度、追い込まれた龍造寺軍は佐賀龍造寺城に籠城した。
窮地に追い込まれた龍造寺軍の鍋島信正(後の鍋島直茂)は、夜襲により今山の陣で大友軍の総大将の大友親貞を討ち取った(今山の戦い)。
その後、龍造寺隆信の子政家、その子高房の居城となる。
その中世の佐賀龍造寺城の所在地と実態については、不明な点が多い。
平成21・22年度に、佐賀市教育委員会によって発掘された西御門付近で、中世の佐賀龍造寺城に関連する大型建物2棟や堀などの遺構や遺物が初めて確認された。
また、佐賀龍造寺城域の龍造寺氏館跡については、若楠会館と佐賀西高校グランドがその推定地と考えられている。
Wikipediaより。
建物の中はとても広く、見ごたえありました。
復元土塁・御殿である。
序でに内濠の復元も考えては?外濠の存在感には圧倒される。
日本100名城に挑戦中なので訪問。
お城はなくって特に良い訳ではないけど資料館みたいな所には無料で入れて楽しめたのでgood。
向かい側には無料の駐車場がありました。
ゆっくりと回っても1時間もかからなかったです。
素晴らしい。
すべて無料。
イヤホンガイドまで無料。
展示されている内容もいい。
鍋島愛に溢れています。
無料です。
ボランティアの方が詳しく説明してくれます。
佐賀の偉人に乾杯!
歴史を感じる風情ある場所でした。
ちょうど何かイベントがあったようで広い畳の部屋に入れなかったのが残念でした。
新緑や紅葉の時期にはいいですね(^^)
百名城です。
いわゆる復元天守などはありませんが、本格的な本丸御殿が復元されていて、資料館となっています。
無料とは思えないくらい資料も充実しており、係りの方の対応もこれ以上ないというくらいしっかりしています。
他の百名城にも見習ってもらいたいくらいのおもてなしぶりに感動しました。
佐賀城は城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれています。
佐賀鍋島藩の居城でした。
威風堂々とした鯱ノ門が現存し、本丸御殿が復元され資料館となってます。
天守は焼失し天守台のみ残ってます。
本丸御殿が再建されており、中は歴史博物館になっております。
子供向けにイベントも催されてるみたいで人がよーさん居てました。
他には立派な天守台が残っております。
一見の価値はあります。
お堀もとても綺麗に整備されておりました。
いや、これはもう跡じゃないですね。
本丸御殿は綺麗に復元されています。
天守閣は佐賀の乱の際に焼失したと言われていますが、鯱の門と続櫓のみが残っていて迫力ありますね。
城内外綺麗に整備されていて申し分無いです。
本丸御殿の一部だけでなく、本丸の遺構の一部も復元整備してあり、その解説板の内容も充実しています。
巨大な天守台や鯱ノ門は見るものを圧倒します。
このボリュームでオープン当時と変わらず無料とは、もはや佐賀県の考えていることはわかりません。
名前 |
佐賀城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0952-41-7550 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:30~18:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
立派に再建されていて 一通り周ると勉強になる。