信長の武将丹羽長秀の居城であったと伝えられる。
2020.03.07訪問蟹清水砦は、織田信長の小牧越しの際には、信長の武将丹羽長秀の居城であったと伝えられる。
小牧・長久手の合戦時は信雄・家康連合軍がこの砦を修復、交番で守備をした。
砦の規模は東西四十六間、南北六十一間と伝えられる。
(東西約83m、南北約110m)砦跡は小牧御殿跡の北にあり、昭和二十年代までは堀跡、土塁跡なども残っていた。
その後の開発により駐車場と住宅へと変化し、現在は石柱、説明板が建てられているのみです。
遺構は全くない。
近年の宅地開発により全て失われたとのこと。
しかし石碑、説明板がきちんと設置されているだけでも嬉しいじゃないか、ありがたいじゃないか。
私はそう思う。
名前 |
蟹清水砦跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
住宅街の駐車場に碑があるだけで、砦や城の雰囲気は全くありませんが、尾張上四郡を領する織田与四郎が築城、信長の小牧山城時代は丹羽長秀が居住し、小牧長久手の戦いの際は徳川方の砦として、松平 菅沼氏が守備しました。
江戸時代には初代尾張藩主 徳川義直が景観や庭園を気に入り小牧御殿が建てられ、近くには小牧代官所もあります。