不忍池に浮かぶ寺島で素敵!
不忍池 蓮の葉で覆いつくされ いつものイメージと違いましたが、綺麗な花が心和ませるように咲いております。
いつまでも訪れる人を楽しませてほしいと感じました🎵
20211204新橋&上野公園1周弾丸ツアーに行って来ました!新橋駅烏森口チャンスセンターで宝くじを買い、烏森神社で参拝を済ませ、「天寿ゞ」さんで昼食を済ませ、上野公園へ向かいます!先ずは、不忍池辯天堂(上野弁天堂)で参拝を済ませ、受付で辯才天、大黒天の御朱印を拝受致しました!これまた達筆でもあり、芸術的でもある、御朱印でした!大黒天の御朱印を拝受した後に、大黒堂に参拝させて頂きました!不忍池の大黒堂は、豊臣秀吉が大切にしていたという大黒天像を祀る堂との事です!1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失したが、1968年(昭和43年)に再建されたそうです!20220103初詣2:神楽坂→上野→浅草弾丸ツアーに行って来ました!天気は上々、家内と神楽坂で義母の墓参り、赤城神社で初詣を済ませ、上野公園に向かう前に御徒町で「うさぎや」にダメもとで立ち寄るも1月4日からの貼り紙で撃沈!下調べは必要ですね・・・・・💦不忍池に到着し、先ずは不忍池弁天堂・大黒堂に参拝して、初詣用の御朱印受付で御朱印を拝受致しました!個人的には、前回の御朱印の方が好き!
辯天堂の右手には、大黒天がお祀りされたお堂も建ちます。
豊臣秀吉が厚く信仰していたと言い伝えられ、上野戦争、第二次世界大戦の戦火を逃れた奇跡のお堂です。
観光客相手の屋台が何軒も出ています。
こういうの嫌う人も多いと思いますが、おのぼりさんの多い上野のお山でアメ横とトータルに鳥瞰するならば、切なくも愚民大衆の一人としては、悪くないっすよ。
解りますよ。
不忍池辯天堂の隣にいらっしゃる、太閤秀吉が崇拝したという三面大黒天様。
普段は閉まっていますが、護摩祈祷の際は開堂されます。
2018年、戦後の開堂から50年を迎えました。
とても強く優しい大黒様です。
辯天堂とはまた違う清々しい空気が漂っています。
辯天堂と同じく、白木の柱が立っており、針金がお堂の廟にいらっしゃる大黒様の手につながっています。
御開帳はされませんが、大黒様を感じることはできます。
甲子の日と初巳の日は護摩祈祷が行われます。
とにかく小さなお堂で、護摩を焚くと煙と熱量が室内に立ち込め、座る場所によっては涙はぼろぼろ出る、とても熱いです。
個人的には、祈祷最中の煙たさや熱さに不快感を感じたことはありません。
祈祷をされるご住職によっても、雰囲気が変わります。
もし、煙い熱いがお嫌な方は、ご遠慮されたほうがよろしいかと思います。
煙に巻かれるのも修行の一種と思います。
また、祈祷のあとには焚かれたお米などをいただけるのですが、中には大黒様のいらっしゃる一角に入ってしまわれる方も・・・。
ご利益を求めるのもほどほどにしましょう・・・
瘤島はこの大黒天堂と弁天堂の間にあって全く無視されている不思議な場所である。
上野不忍の池にある弁天島の脇に瘤のように小さな島が張り付いている。
瘤島(こぶしま)というのが正式な名前かどうかわからない。
というのは、台東区教育委員会の定番の案内説明板がここにはないから。
瘤島の名称はどこからというと矢田挿雲著「江戸から東京へ」の文章のなかでこの島を瘤島と記載されていたため。
現在、この島は不忍弁天社が管理しているようだがそれもはっきりしない。
島は入口は閉鎖され、荒れ放題で草ぼうぼう、燈籠は倒れ、鳥居は亀裂が入り倒れそう、島は地震などにより崩れているところがある。
何かが祭られているので調べてみると聖天様だそうで、別名歓喜天で象の頭を持った男女が抱き合っている像があるが秘仏のため公開されない。
有名な聖天さまは浅草の待山聖天様で霊験あらたかだが約束をたがえると身に不幸が訪れるといわれている。
この瘤島がいつできたかは先ほどの「江戸から東京へ」によると天海和尚が亡くなってから4年後の江戸初期だそうで、太田道灌の家人に感応丸という若侍がおり、対岸の湯島の台に住んでいた15歳の「柳の前」という娘と恋仲になり、夜な夜な感応丸が橋を渡り「柳の前」逢引をしていたが、それを妬いた女に橋板をはずされて感応丸は池に落ち死んでしまった。
それを悲しんだ「柳の前」が後追い自殺をした。
それを悲しんだ者が後年島をつくり二人を聖天様として祀ったとの言い伝えがある。
また別の言い伝えとして、不忍池に弁天島が出来てから40年後の寛文10年に了翁僧都という人物が築き、青銅の日本一の大きさの琵琶が門前においてあり、近隣の芸者さんからの三味線の撥が山と積まれていたとの記述がある。
数年程まえにこの瘤島の聖天様を訪れたときはそのようなものは一切なく、古く細い石畳の参道が民家と倉庫の脇を石橋まで続いており、案内もないためにだれも訪れる人はいなかった。
台東区の教育員会も不忍弁天社も上野観光協会も知らんぷり。
謎である。
(関わると祟りでもあるのだろうか)
徳川家の菩提寺である寛永寺のすぐそばというか同じ上野公園内(江戸時代からなら同じ境内?)に豊太閤護持 大黒天堂があります。
詳しいいきさつは説明板にも書いてなかったので、何故秀吉のお堂がここにあるのかはわかりませんでした。
このお堂は豊臣秀吉が大切に護持したと伝わる大黒天が祀られる、寛永寺の伽藍の一つですという事で、大黒堂は太平洋戦争で焼失しましたが、ご本尊の大黒天は安泰で昭和43年に旧位置に再建されたそうです。
弁天堂はいつも人でごった返していますがこちらは弁天堂の脇にあるのですがぽつんとしてゆっくりお参りが出来ます。
大黒天は食料や富の神様です。
家門繁栄、富貴をもたらして下さいます。
上野不忍池の中島の中に建つ古い御堂で、60年程前に再建され比較的新しい弁天堂に比べてかなり古い建物のように思えるのが大黒天堂です。
弁天堂は空襲で焼失していまったが、大黒天堂は奇跡的に残ったのでしょうか? 建造物としては弁天堂よりも見応え有ると思います。
「豊太閤護持 大黒天堂」と書いてあるのだけど、そのまま訳すると秀吉が持っていた大黒天を祀るお堂ということになるのだけど。
家康の菩提寺なのに?経緯がわかりません。
名前 |
不忍池大黒天堂 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3833-0030 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
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ここは四季折々訪ねています。
何故か心の故郷の思いがあります。