2017年11月16日に訪れました。
天台宗 東叡山 寛永寺 円頓院 / / / .
こちらのお寺で、初の限定切り絵u0026箔押し加工御朱印をいただきました。
上野駅からより、鶯谷駅から行ったほうが近いかもしれない。
敷地が広く迷ったが、とても丁寧な対応をしてくれ、感謝です。
7月下旬頃には第二弾の御朱印が出るらしいですよ。
鶯谷南口からすぐの所、東京国立博物館の北にある寛永寺の根本中堂。
寛永寺は江戸城からみて丑寅の方向にあり、かつては上野公園全体が寛永寺の敷地だったことを考えると、ここに眠る徳川家の権力の大きさがよく分かります。
半年前ですけど、渋沢栄一スタンプラリーなる企画でこちらに訪問しました。
谷中霊園内の渋沢栄一墓所と徳川慶喜公墓所へは行くのですが、通りを挟んでこちらがあるのを知りませんでした。
こちらには渋沢家霊堂もあるとかですけど、一般公開はしていないので外から眺めてきた次第です。
金曜日の午後に伺いました。
敷地内に幼稚園があり子供たちの元気な声が聞こえてきました。
根本中堂は開放されていて中に入れます。
お寺の規模からして当たり前ですが広々とした立派なお堂です。
お守りや御朱印もこの堂内で対応していただけます。
今日の書き手は女性でしたが「瑠璃殿」の文字はとても力強く素敵でした。
自分は日暮里谷中から歩きましたが、こちらの最寄り駅は鶯谷で徒歩10分程度です。
東叡山寛永寺、今日は墓参りで行きました。
紅葉にはまだ少し早かったのですが、お天気がよかったので少し散策してきました。
根本中堂にも入ってきました。
根本中堂は明治維新の頃に焼けてしまい、川越の喜多院から移築されてきたものだそうです。
東京ビエンナーレの会場にもなっていました。
もう少しで紅葉が美しい時期になります。
桜の季節もいいです。
再訪は3月18日、小雨、境内の桜は二分咲き、三分咲きといったところです。
江戸城の鬼門にあたる天台宗の別格大本山寛永寺。
開基は徳川家光、開山(初代住職)は天海で裏鬼門にあたる増上寺と共に将軍家の菩提寺として絶大な力を持ちました。
現在の上野公園のほぼ全域が境内地だったそう。
都会のパワースポットです。
開運間違いなし。
御朱印も迫力があります🏮
コロナ自粛期間は明けていたものの、参拝者はおらず、静寂ななかお参りできました。
歴史的にも有名な場所です上野駅からの道中様々な景色があります御朱印も素晴らしいです。
寛永寺は天海を開山とし、徳川家により新たに建立された寺院である。
徳川家康・秀忠・家光の3代の将軍が帰依していた天台宗の僧・天海によって、江戸城の鬼門の方角を守護する寺院として創建された。
天海は江戸の天台宗の拠点となる大寺院としたいと考え、そのことを知った秀忠は、1622年、現在の上野公園の地を天海に与えた。
当時この地には伊勢津藩主・藤堂高虎、弘前藩主・津軽信枚、越後村上藩主・堀直寄の3大名の下屋敷があったが、それらを収公して寺地にあてたものである。
秀忠の隠居後、1625年、3代将軍徳川家光の時に今の東京国立博物館の敷地に本坊(貫主の住坊)が建立された。
この年が寛永寺の創立年とされている。
現在の本堂は川越の喜多院本地堂を移築したものである。
最初上野戦争って何?と教科書で思ったのが印象的。
上野戦争があっても福沢諭吉は場所が違うので授業を進めたと言うが今ならありえない。
明治維新好きには聖地かな?
寛永寺は、寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。
自分が訪れたのは1月の平日で、人はそれほど多くはありませんでした。
根本中堂は立派なお堂です。
その中で御朱印をいただくことができます。
豪快で立派な御朱印です。
※私の評価は途中からではありますが、私如きが神社仏閣を評価なんてとんでも無いと思い基本普通の★3にさせていただいています。
徳川家のお墓を守ってるお寺さん。
観光の団体さんもいたけど比較的静かで落ち着くし、由緒有るなぁと重厚感を感じました。
根本中堂で御朱印をいただきましたが、根本中堂の登録もあるので一応別けて書こうと思います。
寛永寺は、1625年に、徳川幕府第二代将軍・秀忠の命を受けて、天台宗の僧・天海が開山したものである。
天海は、江戸城の鬼門にあたる東北の方角をにらみ、上野の山と不忍池に着目し、ここに寛永寺を建立したのである。
なお、江戸城から見て裏鬼門にあたる、南西方向の同じくらいの距離のところに、寛永寺よりもかなり狭いものの、増上寺が三代将軍・家光の時代になって建立された。
御朱印頂きました。
お寺の知名度とは対照的な静かさ。
御朱印待ちの間にお茶を頂きました😃
私は探し捲りました、寛永寺の釣り鐘を、此処の柱に左甚五郎の龍が彫られて居ると聞いてです、龍は夜な夜な不忍の池の水を飲むと言う伝説が有りますが、肝心の釣り鐘が有りませんでした。
教えてください。
2017年12月16日寛永寺に来ました、釣鐘を見つけましたよ^_^しかし、上野東照宮の唐門の左甚五郎の作の龍の彫り物はなんじゃ?
2017年11月16日に訪れました。
交通は鶯谷駅で下車した方が近いです。
御朱印は本道の中に入り左手にて、その場で書いて頂けます。
70歳過ぎの女性が丁重に書いて下さり、御朱印帳も購入しましたが表紙の空白欄に「御朱印帳」と記載もして頂けました。
東叡山寛永寺。
天台宗の別格大本山。
1625年(寛永2年)徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願して江戸城から鬼門(東北)にあたる上野台地に天海大僧正が建立。
山号の東叡山は京の御所の鬼門にある比叡山より「東の比叡山」の意味。
4代将軍徳川家綱公の霊廟が造営されたことにより将軍家の菩提寺ともなる。
さらに東叡山主を皇室から迎え(輪王寺宮)た事により江戸時代には格式・規模において国内随一の大寺院と発展し、上野台地殆んどを伽藍とするものであった。
しかし幕末の戊辰戦争において、彰義隊が境内に立てこもった事から上野戦争に発展。
新政府軍の攻撃により寛永寺境内は戦乱の火により大部分を消失。
その後の明治政府の接収によりその規模が極小した。
規模は縮小したが、思わせる。
現在ある建造物など魅力的な物があり、その全盛期はどれだけ勢力があったのだろうと。
江戸時代初期に徳川家光の命で建立された天台宗のお寺で、京都を守護する比叡山延暦寺をモデルにして、同じような役割を担わせようと意図したらしいです。
また、不忍池は琵琶湖をモデルにして弁天島を作ったとか。
当初の建物は戊辰戦争で焼けてしまい、現在の本堂は明治時代に川越から移設したものだそうですが、十分に歴史が感じられる立派な建物です。
ただ、本堂内に多数安置されている仏像までの距離が遠く、間近で鑑賞できないのが残念です。
上野東照宮参拝の後に徳川将軍家縁の寛永寺に参拝しました。
芝の増上寺と比較すると、静かで、一見地味ですが、一人で周りを気にせずぼんやりするには良いところです。
御朱印も丁寧に書いてくれるので、好感度高いです。
江戸時代は現在の噴水辺りに本堂がありました。
上野戦争で焼かれてしまいました。
現在は昔の栄華が偲ばれます。
最近は、あらかじめ申し込んでおけば、徳川将軍の霊廟も拝観できるようになったようだ。
ただし、「志納金」を納めねばならないようだが、賽銭程度でいいのか、御経料くらい必要なのか、悩むところ。
江戸の鬼門を守る寛永寺。
「パワースポット」だそうで、信ずる者は救われるかもしれない。
徳川家墓所のひとつ。
増上寺と違い、特別観覧日でないと普段は非公開で見ることができないのが残念なんのと近くには学校、上野動物園があり、風向きで少し臭いもきになる。
場所が場所だけにちょっと騒がしいかな…😓駅からはアクセスもしやすい。
無料駐車場もあるけど、参拝以外で絶対に使用しないこと!近くには国立博物館、動物園があるのでぶらりと立ち寄るには最適!
名前 |
天台宗 東叡山 寛永寺 円頓院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3821-4440 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
江戸の鬼門を守る寛永寺。
寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立された天台宗·大本山の寺院。
2023年5月下旬から授与が始まった『徳川御朱印』は、寛永寺で初の限定切り絵御朱印。
最大の特徴は、徳川家の象徴とも言える葵の御紋を全面にあしらったデザイン。
中央に細やかでインパクトのある切り絵の御紋。
左右にも御紋が散りばめられ、その内の1つは、縁起の良い雲のモチーフと共にシルバーの箔押しで表現。
寛永寺の中心的お堂である根本中堂のイメージそのままに、ゴールドの重厚な紙の中に繊細な切り絵が施される。
限定頒布のため、授与は寛永寺の「根本中堂」のみで行われる。
2023年5月27日(土)から開始、数量限定のため無くなり次第終了。