名前 |
三富朽葉歌碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
三富朽葉(みとみ きょうよう)。
明治、大正期の詩人で壱岐出身。
本名は義臣。
父は壱岐石田郡長を務めた人物で、1896(M29)4月、7歳の時に渡良村の三富本家の伯父三富浄の戸籍上養子となるも、同月、実父母と共に上京。
フランス系列の暁星中学校に入学し、このころから「新小説」「文庫」などに短歌や詩を投稿していました。
その後、早稲田大学高等予科文学科に入学し、西条八十らと雑誌「深夜」を発行。
1908(M41)年、早稲田大学英文科へ進学。
1909年に人見東明、加藤介春、今井白楊、福田夕咲らと「自由詩社」を結成し、口語自由詩を唱道しました。
象徴主義の影響を受けた倦怠的・耽美的な詩を、機関誌「自然と印象」、「早稲田文学」等に発表し、その口語散文詩は、先駆的作品として評価されました。
1910年頃からマラルメやランボー、ヴェルハーレンなど19世紀末のフランス近代詩人の影響を受け、フランス象徴派詩人の研究や翻訳も行っていましたが、1917(T6)年の夏、詩友の今井白楊と避暑のため訪れた三富家別荘のある犬吠岬崖下、君ヶ浜で遊泳中、高波にさらわれ今井白楊と共に溺死。
享年28歳。