寛永14年(1637)47歳で世を去りました。
第28代平戸藩藩主である松浦壱岐守隆信は、天正19年(1591)に生まれ、慶長7年(1602)に若干13歳で藩主となり、寛永14年(1637)47歳で世を去りました。
『壱岐国続風土記』には「前壱州大守墓、釈石門云、松浦宗陽大居士の墓なり」と記されており、『壱岐名勝図誌』には「宗陽大居士拝塔」と記されています。
藩主の墓が壱岐にあることは考えられないことから、後書では”拝塔”と改められています。
『武生水町郷土史』では、「松浦隆信の拝塔」として、本村触の「年ノ丘ニアリ。宗陽隆信ハ法印鎮信ノ孫ニシテ、父久信早逝、祖父ニ養ハル。寛永十四年五月歿ス。国人其ノ徳ヲ幕ヒ拝塔ヲ達ツ。
」と記してあります。隆信の死を悼む壱岐在住の家臣たちによって建てられたものではないかと云われています。松浦隆信は生前、武生水村の妙見社、住吉村の住吉神社拝殿、本宮村の本宮八幡各社の再建を行っています。 拝塔には「前壱州大守正宗院殿向東宗陽」と隆信の法名が刻まれています。 また隆信の父である久信は32歳の若さで世を去っていますが、この久信と夫人メンシア松東院の拝塔も安国寺(芦辺町深江栄触)境内に残っています。
名前 |
松浦隆信の拝塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.7 |
共同墓地の一角にあります。