グラバー邸もいいけどオルトも素敵です。
立派なお宅です。
見応えがあります。
一番奥まった場所にありますが、その分落ち着いて重厚な雰囲気があります。
グラバー園の中でもすごく緑が綺麗な建物でした。
旧オルト住宅は慶応元(1865)年に建てられ、ウィリアム・ジョン・オルトが3年間住んでいた。
石造円柱が列ぶベランダの中央に妻切屋根のポーチがあり、軒高の堂々たる偉容を誇る幕末明治洋風建築の中でも出色の建築。
オルトは安政6(1859)年に来日、オルト商会を設立し、貿易商として製茶業、居留地自治会の初代役員、商工会議所で初代議長など実業家として活躍。
1865年(慶応元年)の建築です。
ウィリアム・ジョン・オルト(William J. Alt 1840~1908)が1865年から3年間住んでいました。
木造平屋建ですが、切妻屋根が何本もの石柱で支えられるベランダ構造で、軒が高く、造形の美しい切妻屋根に玄関横の庭木や棚の配置が大変華やかな印象を与える建物です。
個人的な好みですが、明治前後の洋館の中では一二を争う造形の良さを感じます。
英国人の設計ですが施工は日本人なのだそうで、センスの良い設計が細やかな施工技術で支えられる、細部まで破綻のない素晴らしい建築物です。
それ故に結婚式の前撮りに多用されるそうですが、青空の下なら色褪せない記念写真が撮れる事でしょう。
グラバー亭が改装中だったので、園の中で最も気に入った建物。
旧オルト住宅は、グラバー園の南端にある洋館です。
木造、平屋建、屋根は寄棟造、桟瓦葺き、建築面積494.4平方m。
附属屋は煉瓦造平屋建、桟瓦葺き、建築面積92.4平方mル。
倉庫は煉瓦造平屋建、桟瓦葺き、建築面積12.5平方mです。
居住者のウィリアム・ジョン・オルトは安政年間(1859年頃)に長崎に来訪したイギリス人商人で、文久年間から慶応年間(1860年代)にかけて、南山手と大浦に製茶所をもっていました。
『外国人名員数書』という史料によると、慶応元年(1865年)にはこの住宅は「造作中」とされており、慶応3年(1867年)にはオルトが居住していました。
その後、明治4年(1871年)の『長崎新報』にこの住宅の売却広告が出ていることから、その時点ではオルトは退去していたとみられます。
当住宅は明治13年(1880年)から2年ほど活水女学校が使用しましたが、明治36年(1903年)には隣家のフレデリック・リンガーによって購入されています。
同人は1907年に死去し、その後は長男のフレデリック・エラスムス・エドワード・リンガー(1888年 - 1940年)が住みました。
昭和18年(1943年)、川南造船所が当住宅を取得。
太平洋戦争後の昭和45年(1970年)、長崎市の所有となりました。
昭和53年度(1978年)に修理が完了し、明治期の姿に復元されています。
建物は西を正面とします。
平面は南北に長い長方形をなし、南北に通る廊下を挟んで東西に部屋を配置します。
西列の部屋は北から応接室、玄関ホール、食堂があり、その南は夫人室(寝室、居間、浴室からなる)です。
東列は北から寝室(北側に化粧室が付属する)、倉庫、配膳室、附属屋へ通じる廊下、客用寝室があり、その南にはそれぞれ浴室を伴う2室の寝室があります。
建物の西面全体と北面・南面の前寄りにはベランダを設け、玄関ホール前にはペディメント付のポーチを設けます。
外壁は天草石張りで、主要室である応接室と食堂の天井は板に紙貼りです。
ベランダとポーチには石造のトスカナ式円柱を立てています(ただし、ベランダ・ポーチ境の2本のみは角柱)。
ベランダの床は天草石の四半敷、天井は菱形網代組です。
裏手に建つ附属屋は北側を土間の厨房室(3室)、南側を畳敷の使用人室(2室)があります。
附属屋の背後は急な崖で塞がれています。
附属屋の北東、崖に接して倉庫が建っています。
倉庫は「く」の字平面で、北にランプ室、南に石炭庫を設けています。
倉庫の南にある階段は崖の横穴に通じ、かつてはここも倉庫として使用されていました。
なお、住宅前にある噴水1基も住宅と同時期のものです。
当住宅の設計者は不明ですが、天草の小山秀之進(大浦天主堂の施工者)の遺品中に当住宅の図面があり、施工は小山が請け負ったことがわかります。
西洋建築のスタイルを取り入れつつも、軒下の蛇腹が過大である点など、様式的に未熟な点が多いようです。
また、小屋組は和小屋とするなど、和風の要素が強く、これらの点は日本の初期洋風建築の特色です。
1972年(昭和47年)5月15日、主屋・付属屋・倉庫が国の重要文化財に指定。
噴水1基が重要文化財の附(つけたり)指定となっています。
玄関前の噴水⛲️がお洒落です👍👍
イギリス人商人であるオルト氏の邸宅です。
1865年(慶応元年)に建てられました。
イギリス人建築家が設計し日本人の大工が建てた建物です。
オルト氏は製茶業を営んでおり日本の緑茶を世界に広める役割の一旦を担ってくれた人物です。
邸宅は非常に良好な状態で保存されています。
建物内には調度品が残されており、それらを見ると江戸末期から明治にかけて日本にやってきた外国人がどのような生活を送っていたのかが非常によく理解できます。
知的好奇心を満たしてくれる非常に価値のある場所です。
旧三菱第2ドッグハウスやグラバー邸とはまた趣の違う邸宅です。
修学旅行や団体旅行などだとここはカットされたりしてここまで来ないかもしれませんが、時間が許すならぜひここまで来られてください。
順路に従ってこちらまで来る途中、表札のついた門扉がありました。
グラバー園内にすまれている方がいらっしゃるんですね。
驚きました。
グラバー邸もいいけどオルトも素敵です。
こちらの方が広く感じます。
夜間営業してる時はライトアップされて素敵かも。
クラバー邸に引けをとらない立派な建物だと思いました。
長崎の洋館は瓦を使った和洋折衷な建物がとても特徴的だと思う。
とてもー美しいでーす。
グラバー園の中にあり、内部は当時の様子が再現されています。
複製の物もありますが、ベッドや家具は当時の物のようです。
青色のマントルピース(暖炉)と庭の噴水が印象的でした。
重要文化財に指定されている。
名前 |
旧オルト住宅 |
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ジャンル |
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電話番号 |
095-822-8223 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
お天気が良くて見晴らしのいい気持ちの良い日でした。
噴水がもっと整備されてたら更に良かったと思います。