朝鮮通信使を迎える四脚門が残っています。
創建は遅くAD855年とされているが、その後も国分寺としての経緯は定かではない。
島分寺跡(国分寺跡)推定地は「対馬市厳原町今屋敷」である。
現国分寺:江戸時代には朝鮮通信使を迎え入れる宿舎として機能していた。
奈良時代に聖武天皇が建立した国分寺の流れを汲む、対馬の歴史を感じられる綺麗なお寺です。
ちょっと道が入り組んでます。
対馬藩の宗氏からも崇敬され、江戸時代には朝鮮通信使の客館として用いられたらしいです。
対馬の路地は入り組んでいてよそ者にはわかりにくいのですが、途中、案内板らしきものは見当たらず少々迷いました。
朝鮮通信使にまつわる史跡で山門が対馬市の文化財に指定されていますが、これといった見どころもなくスルーでもよかったかなと思います。
厳原町にあるお寺さん、この辺りはお寺が密集してる韓国からの観光客がよく訪れている。
朝鮮通信使関連遺跡です。
大正()13年に火災ですべて消失され、今では正門やら鐘楼だけが残っています。
(原文)조선통신사 관련 유적지 입니다.대정()13년에 화재로 전부소실되고 지금은 정문이랑 종탑만 남아 있습니다.
対馬国分寺(曹洞宗)本堂のご本尊は釈迦如来さまで三尊形式で祀っておられました。
ご本尊脇に観音さまが祀られており、ご住職に尋ねるも由来は分からないとの事。
薬師堂は盗難にあったことがあり開帳されていないそうです。
山門など興味なくても蜜蜂が巣を作っているのでそっと覗くと観察できて面白いです。
対馬の日本蜜蜂は本土とまた少し違うようなので、間近で観られる場所として貴重だと思います。
日本蜜蜂は滅多に刺さないと云われてますが、心配な人は三門の両脇に巣があるのできをつけて通りましょう。
普通、そんなとこ歩きませんが。
居ても慌てない叩かないゆっくり動く、僕はこれで刺された事が無いです。
朝鮮通信使を迎える四脚門が残っています。
名前 |
国分寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0920-52-1243 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.4 |
聖武天皇の命でつくられた国分寺ですが、この場所にあったのかよくわかっていないそうです。
きれいに手入れされたお寺でした。