対馬市唯一の日蓮宗寺院。
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慶長5(1600)年6月、徳川家康は仏性院日奥上人が国主の行う国家的大法会に対し出席を拒み、供養を拒否するのをとがめ、公命違背の罪に問うて対馬に遠流した。
これは日蓮宗内の仏法は王法に従うものではないという、不受布施の教義によるものである。
日奥上人は、信念を貫かれた傑僧である。
「不受布施義」の不受とは文字通りに受けず、不施は施さずということ。
不受は概ね僧侶の立場で他宗の信者や未信者は謗法の人であるからこれらの人々からの供養・施物を受けない。
次に不施は概ね在家信者の立場で、他宗謗法の僧には布施供養をしないということで、これは不受不施の根本的態度で法華信仰を守るための理念であり、信条・法度である。
日奥上人は、初め対馬厳原久田道の龍如院に預けられたが、後 宮谷の武家屋敷奥に建てられた住居に移った。
慶長17年正月赦免されて京都に帰るまでの間に国昌寺が建てられた。
その後、寛永7年(1630)、関東において再び受不受の争いが再燃した。
幕府は同年2月21日両者を江戸城において対論させたが、その裁決に苦慮し、論義の内容・優劣についてはこれをおいて断ぜず、関東諸山が不受不施義を立てるのは先年の権現様の御宰きに背くものとして問答に出席した池上側の池上本門寺日樹・中山法華経寺隠居日賢・平賀本土寺日弘・小西檀林能化日領・碑文谷法華寺日進・中村檀林能化日充の6上人らを諸国に配流し池上等関東諸山を身延の支配とした。
「身池対論」がこれで、日奥上人は、裁決の直前3月10日、66歳で京都妙覚寺に没したが、死後にもかかわらず再度の対馬流罪となった。
名前 |
国昌寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0920-52-1600 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
5.0 |
対馬市唯一の日蓮宗寺院。
本堂がきれい。
施餓鬼会にお会式桜を飾るのは、意外でしたー。