夜間は、ライトアップされてます。
宗義智1568‐1615(永禄11‐元和1)対馬藩藩祖。
初め昭景,対馬守,侍従従四位下。
豊臣秀吉の命により朝鮮外交に奔走,1591年(天正19)通信使来日を実現するなど戦争回避に努力。
文禄・慶長の役に小西行長とともに活躍,肥前に領知1万石を与えられた。
戦後も重臣柳川調信らと国交回復に尽力した。
1605年(慶長10)講和が成立,以後朝鮮関係の独占を許された。
われら日本国の対馬藩主。
刀伊の入寇で藤原隆家が守ってあと元寇の北条政宗などを経て対馬のために守ってきた藩主。
朝鮮通信使も帰国した朝鮮通信使が悪口コミばかりいって嘘ばかり報告したのはびっくりしました。
名前 |
宗義智公之像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
朝鮮との橋渡し役として重要な役割を担った宗義智氏の銅像ですここを起点に武家屋敷通りが始まります。