板橋宿本陣の薬師堂の特徴
名前 |
板橋宿本陣の薬師堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
板橋は古来「橋際村」と呼ばれていたが、板橋将監が領主となったことから板橋と呼称を変えた。
板橋宿の本陣を務めていた大貫庄次郎良至が江戸末期に本陣を閉じて板橋を離れてしまった。
そのため今は畑となっているところの奥まったところに、当時は本陣の裏庭にあったと思われる薬師堂が残されている。
大貫氏はもとは彦根藩士の山下六郎左衛門で、下野国塩谷郡大貫村に土着し大貫氏を名乗った。
その後子孫の庄次郎良至(よしてる)が板橋に移住して本陣を開設したと伝わる。
鰐口に「延享元世天七月吉日 願主法誉円心」とある。