牛小屋には何もいないはずなのに牛の香りがした。
初めて訪れました。
立派な城壁を目の当たりにして、驚きました。
見応えがあります。
闘牛場のそばから城壁を観ただけですが、城跡の駐車場の近く(写真左奥あたり)から、登れるようです。
知っている人に聞くと、ローカルの戦隊番組でもロケ地として使用されているようですね。
これまで存在を気にしていなかったので、ちょっとした観光気分で楽しめました。
近くを通ることがあれば、訪れてみても良いかもしれません。
ちなみに、付近はめぼしい観光地も少ないため、何かの用事や他の観光地の訪問がてらなどで訪れることをオススメします。
城趾の按司領主が住む屋敷まで行きました。
通路を歩くと、石積みの道は、ピラミッドと同じく、長い年月をかけて完成したと実感です。
そして、見渡すと街並みを見ながら、領主の気持ちで観察しました。
15世紀(三山時代)から16世紀にかけて同城を拠点に沖縄本島中部一帯を三代にわたり支配した安慶名名大川安司(英祖王の男系子孫)の拠点として知られ‥1972年(昭和47年)5月15日本土復帰した年に国の史跡に指定されました‥下に天願川有ります。
安慶名闘牛場🐮有ります🐄安慶名城跡は沖縄市に在住の時に良く行きました😁令和3年2月17日(水)
森の中にある遺跡であり歴史の想像を楽しめる。
自然がぎっしりで、牛小屋には何もいないはずなのに牛の香りがした。
虫もたくさん!静かで空気が不思議な感じがしました。
石垣上からの眺めは素晴らしいです!整備された道から安慶名闘牛場を通り城跡に登れそうな雰囲気ですが、闘牛場からは城跡に登ることはできません。
城跡の南側、公園の広場方面に周ると登城口の石碑が見えます。
バイクでフラフラしていたら、城跡を発見。
タマタマ、たどり着きました。
こじんまりとした城ですが、天然の地形をうまく利用してある感じです。
急勾配の石段は息が切れますが、登ると眼下が一望できます。
ひとつ下の段の石積みがみごとです。
あんまり整備されてないのも、かえって良かったです。
期待しなかったが、なんのなんの。
石垣が多数残っていて見応え充分だった。
闘牛場の側から見ると、2段に組まれた石垣の図が見られる。
また頂上には岩をくり抜いたアーチ門がある。
言うまでもなく登城にはしっかりした履物が必要。
琉球王朝時代の立派な城郭址です。
麓には闘牛場もあります。
城に登るには、闘牛場向かって左、城跡の石碑があるところから入ります。
距離は短いんですが、勾配が急なので慣れてない人は注意しましょう。
景色が見えるように高い樹木などが剪定されています。
入り口が分かりにくい❗荒れた芝の公園の奥に階段あり、整備はさほどされていない。
闘牛場からは上に上がれません。
一回目はグスクへの入り口がわからず、闘牛場から見上げるだけになってしまいましたが、2回目の訪問前にリサーチして入り口発見。
駐車場から、芝生の広場を横切って向かいの森を目指せば石碑があります。
そのまま進めばグスクへ登る階段があります。
主郭への入り口は、岩をくりぬいた穴になっているのが特徴です。
空撮してみました。
動画をご覧になりたい方は[4K]安慶名城跡で検索!
週末に旅行で行きました。
上り口が見つからず闘牛場を通って城の周りを一周しました。
途中斜面の赤い柵で閉められた仏様がおられたりと珍しかったです。
入り口は闘牛場の入り口から左に林に沿っていくと木々の間に石碑があり(写真に掲載してます)ボランティアの人が中で道を伐採しておられました。
普通は探せないのでびっくりされましたが(私は・・・に教えてもらったので(謎笑))見つけられました。
きつい階段を上り岩に開いた穴をくぐると本丸があり闘牛場を真下にみる景色はなかなかでした。
伐採している方に看板がないと難しいですねと伝えましたが勝手に立てられないと思いますので役所の対応次第ですね。
すごくお勧めする城でした。
仏様におまいりするのもお勧めします。
城の北側を流れる天願川を別名「大川」とも呼ぶことから、「大川グスク」とも称されています。
伝承では14世紀頃、安慶名大川按司の築城といわれており、自然の断崖と急傾斜を巧みに利用した山城です。
城の形態は、外側と内側に二重の石垣を巡らす県内では珍しい輪郭式のグスクです。
築城時期については、本格的な発掘調査が行われていないため詳細は不明ですが、県内における発掘調査報告をみますと12世紀後半から13世紀初頭にかけてグスク時代の開始が認められています。
そのことから、安慶名城もその頃築城され、15世紀頃に現在の石垣が造られたのではないかと思われます。
安慶名城の3代目の頃になると、中山王(ちゅうざんおう)は尚真王(しょうしんおう)の時代で、各地の按司を首里に集め、中央集権国家を造ろうとしていましたが、安慶名按司の勢力は具志川、あるいは中部一帯に広がっており、首里に呼び寄せようとしても聞き入れませんでした。
中山軍は、仕方なく安慶名城を攻めることにしましたが、勢力のある安慶名城でしたので、なかなか落城させることが難しかったようです。
そこで、調べてみるとこの城には水がないことがわかったので、水攻めすることにしました。
しかし安慶名按司も考えたもので、米で馬を浴びせ、遠くから見ると水浴びをさせているように見せかけたのです。
中山軍はあきらめましたが結局水がないことがわかり、安慶名城は落城する結果となりました。
『うるま市文化課HP』
名前 |
安慶名城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
殆ど手付かずでとっても良かったです。
急な登りを休み休み登って登頂!絶景‼︎闘牛場の方からの城址の眺めは素晴らしい!